アウトサイダーアートのどこが私を惹きつけるかと言うとそのたぐいまれな生命力である。具体的に画面で言うと考えられない色の組み合わせと構図、あ、こんな組み合わせがあるのか、という驚き、新鮮さ。反対に、ではなぜ、公に認められているすごく高かったりする作品にはえてして驚きや生命力がないのか?それは社会の取り決めの中で成立しているアートだからではないか?
その人たちは、作品が社会に存在しうるために、自分の妄想に、かっこいい、とか優れた、という表現をプラスして積み上げて画面を作る。それが価値としてうまくいけば認められる。ということなのかと思う。
アウトサイダーアートの作家達は他人や社会なんてあまり気にしない、自分のどうしても描きたいことを一気呵成、迷いもなしに描く。だから力がある。
アウトでない人達は人の反応を気にしながら描かざるを得ない。白いキャンバスの前で躊躇しながら自分はだれか?という疑問から始まりなぜ絵を描くのか、とか疑問だらけの筆で手探りで進んで行く。景色を見ながら歩く人と、目隠ししたまま突っ走る人、そこいら辺の違いだろう。
Raw Vision
パリのモンマルトルの丘、マルシェ・サン・ピエールという昔の市場で、布問屋が並ぶ楽しい地区にアウトサイダーアート専門の美術館がある。そこで今やっているのが「Raw Vision 25周年展」。なんとイギリスでは25年前から専門の雑誌〈Raw Vision〉まで作っていたのである。そして今でも続いている!
この勇気あるパイオニアの名前は、John Maizels 。ジュネーブ生まれの彼は少年時代からアールブリュットに親しみにローザンヌに「アール・ブリュット・コレクション (Collection de l'art brut)」が開かれると一日中をそこで過ごすような日々をおくり、イギリスで美大生の時もいわゆるエスタブリッシュなアートよりアラブ世界のカリグラフィーやインドのアウトサイダーアートに興味を持っていた。彼はこれらのアートの中にある魔法のような力。強い精神性に完全に打ちのめされた。という。そしてついにに先駆的な雑誌Raw Visionを創刊した。
25年前、当時まだアウトサイダーアートなんてほとんど誰も知らないばかりか、かわいそうな病人や障害者の落書きを取り上げて高い値段で売り買いする悪者、みたいに思われていた節もあった。けれど私のまわりのアート好きの人たちの間では、コンセプチュエルアートの窮屈さにくらべてエネルギーの爆発に惹かれ、アールブリュットを見に行ったり買い集める人が増えてきた。私もデュブッフェの本など読みアウトサイダーに興味を持ち始めた。
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Ras dizzy, ジャマイカの放浪画家
この不思議な形と色使いを見てください
Sam Doyle; 黒人奴隷の子孫でトタン板の屋根材にペンキで絵を描く
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Raymond Materson; アメリカ人ミュージシャン、服役中に靴下の糸をほどいて刺繍をした
ゴミ箱のフタに絵を描き続けた天才
われわれの田舎の家の近くにガストン・シェサック()というアウトサイダーの画家が住んでいた。彼はパリの有名な画家、ジャン・デュブッフェ(アール・ブリュという名前を付けた人)に認められていたが、生涯、まわりからは理解されず、妻は教員でつましく田舎に暮らしていた。パン屋の支払いができないと椅子や雨戸に絵を描いたものを持ってきてこれで何とか払えないか。パン屋もしょうがないのでもらってあげたが後でその上の白いペンキを塗ったりしていたらしい。村中の人がそうやってシェサックの描いたかごや板を持て余していたがそのうちにそんなものがパりの画廊でとんでもない値段が付いたということが知れ渡ると、ペンキを塗ってしまった連中は地団駄踏んで悔しがった、という。
私は彼の回顧展を、その田舎ヴァンデ県の県庁のホールで見た。大理石の土台には厳かにパンかごやゴミ箱のふたが鎮座していた。(シェサックは紙やキャンバスを買う金がなくて、そこいらへんの板や何にデモ描いていたのだ)。美しいものは近くにごろごろあったのにパリの人がそう言わないとわからない。そう言うだけではだめで高い金で取り引きされる、すると急に農家の納屋から引っ張り出し、画商の手を経て大理石の大の上へと場所が変わるのである。そんなものである。
TAGAMI こと田上允克
そう、アートは思いがけないところに転がっている、見る目がある人には見えるし、見えない人には何も見えない。というか見たい人には見える。ということだけ。日本でもそうだが田舎の片隅に、時々素晴らしい独学のアーチストがいるのである。
私はそういう偉ぶらない、しかもパワーがハンパない作品が不思議で無名の方々の作品を細々と買っていた、そして出会ったのが TAGAMI こと田上允克さんである。
に山口県山陽小野田市に生まれる、大学まで出たものの働く気がなく、本人いわく何も好きなものがなく、家で本を読んでいた。という。29歳で母親に世間体が悪いから出て行ってくれと言われ東京に出てきて新聞配達をやるがその2日目に当時目黒にあった「鷹美」でヌードクロッキーを描きだす。するとこれこそ自分のしたかったことだ。気がついた。という。
まるで大きなダムに水がたまっていたように、そしてダムにやっと蛇口がついたように、イメージがすごい勢いで彼の頭の中に洪水のようにやってきて描いてくれと迫ったという。夜も昼も、それ以来35年彼は描き続ける。
天才TAGAMIの秘蔵大作展はアツコバルーでまで。