ギメ美術館の北斎展がもう終わるから是非見にいらしたらどうですか。とパリ在住の画家黒須さんに勧められて最終日に間に合った。パリの北斎展といえば今から25年ほど前に大掛かりな展覧会がマレー地区にある美術館で開かれた時、私も大学生で、見に行った、そして東洋の小国から留学している一留学生として、たぶん日本で見るよりずっと北斎のオリジナリティに感服してしまい、私も北斎の子孫の端くれである。ということに誇りを持ったものだ。今回は小規模な展覧会であったが久々に本物を見て、その偉大な才能にまたまた感激した。
私が特に好きなのは風景画である、その不思議にゆがんだ空間に吸い込まれてしまうのがなんとも心地よい。北斎流の三次元に漂い、酔っ払ったように足をすくわれる。かと思うと空間の真実に近づいた気にならされて、ああ、これでよいのだ。これぞ日本人の空間なり。と、変に納得するのである。これは北斎だけでなく、平安時代の絵巻からある不思議な空間の話であるが、今回北斎を見たので北斎の空間ということに私に中でなっている。
普通風景画には近景、中くらい、そして遠景とある。(と思う、私は専門の勉強をしたことがないのでそう思っているだけなのだが。)そして北斎の浮世絵の風景は正しくない、普通に見たらそんなわけのない近景、中くらい、遠景なのだ。何をもって正しくない、というのかというと西洋の遠近法であり、写真に撮った場合の見え方から言うと正しくない。
この百人一首のシリーズの駕籠かきの図を見ると、うまく言えないが、右下の天秤がもろに真正面で、わらじを直している人と、その上の石畳の坂道を走っていく駕籠かきとの関係はおかしい。駕籠かきが下っていく坂の下に立っている家の屋根なんかもっとおかしい。まるで遊園地のミラーハウスにいるみたいに目がくらくらしてくる。前景でほぼ言いたいことを言ってしまった後、中頃の風景で広がりを見せる平野、濃い茶色にベージュの道が蛇行する川のように模様っぽく書かれている、ここいらやりたい放題、デザイナーとして遊んでいるな。という感。道を行く籠や人々は帳尻を合わせるための説明で、遠景はもうどうでもいい感じで白い空に雑木林の影絵。
この楽しそうな風景からは声が聞こえてくる、エッサー、ホイサーの威勢のよい駕籠かきの声が聞こえたかと思うと、大きな声は左下の坂道に吸い込まれて、はるか遠くの道に小さく消えていく。私たちの目はそんな風に駕籠かきと一緒に絵の右から左へまた右に向かっていく、その空中遊泳がなんと気持ちよいこと。まさに西洋みたいに視点は一点ではなくて北斎の絵の中では動いているのだ。その動きの中で空間は正しく作用している、問題なし、である。でも動いているから少し船酔いする。それが先ほど私の言うマジックハウス的な体験、ということ。
次の絵もまた百人一首の中にある一点だが、こちらは声は大して聞こえてこないが、煙が主人公である。焚き火をするとわかるが煙は高く上ると拡散して上のほうはもうもやもやである、こんなはっきり白い形になったりしない。でも北斎は平気で蛇みたいにくねくねさせている、なぜならこの煙が私たちの目のガイド役を演じているから。
右から左に行って作業している人間たちの上をかすって、意味不明の中頃の白い池みたいな物体(ただの引き立たせ役)で一呼吸おかせて素敵なおうちに向かう。おうちの裏にはこれまた煙においでおいでをしているような、もくもくした茂み、そのまま空に消えちゃうかと思いきや、ちゃーんとユーターンして帰ってくる。私たちの目は煙に乗っかって風景の中を奥に奥にと入っていく。これまたゆがんだ世界の遊覧飛行である。
西洋のルネサンスのイタリア人はとてもまじめでインテリで、とにかく真理は一つだし、視点も一つだし、(多くの絵はキリスト教の宗教画だったし、あるいは史実を語ったし)とにかく学術的だった。なんだか自分のインテリジェンスのレベルを絵で表現していたようなところがある。もちろん彼らもいろんな仕掛けを絵に込めていたし、実に素晴らしい絵画が山のようにあるので、別に悪口言う気はさらさらないのですが、われらが北斎はなんと言っても「阿呆くさい」、のほくさい。辛気臭いことが大嫌い。名前だって平気で変えてしまうし、写楽だった、という話もあるくらい。基本、アナーキーで権力や金銭に媚びたりできない性分。空間だって三脚でたって双眼鏡で見るようなもんじゃあありません。目は2つあるし、いつも目玉は動いており、うれしいいことに立体の世界では目が動くたびに形は違って見える。見えないところは空想で見ちゃう。そんな不確実な真実を叙情的に表したのが北斎である。
とても興味深い展示があった、北斎のスケッチと下書きである。スケッチのたぶん2枚目と3枚目が並べてあった。2枚目では細かいスケッチがなされて、構図もかなりまとまっている、そこで目を引くのは画面に赤い線がたくさん引かれていること。木に登った人が紐で何かしている図だが、紐が画面を面白く分割している、その上、木の幹が面白い形にまがり画面を2分して、枝もまた叱り、そのすべての構成に必要な線が墨の絵に赤く線引きされていた。3枚目のスケッチでは赤い線はなく、下書きの赤線をうまく構成して独特の目を散歩させてくれる動きのある画面ができていた。北斎は線で絵の面白さ、そして遠近まで演出してしまうのだ。
印象派の画家たちが驚嘆したのは富獄三十六景のなかにある大きな青い波がぐわーんと盛り上がった前景から、波の上にちょこんと小さな富士山が乗っているように書かれたあの有名な浮世絵だ。あの遠近法にロートレックもモネもガーンと一発やられてしまったのだ。
これでいいのか?これで空間が表せるのか?というまるで天地がひっくりかえったような衝撃をうけたらしい。その上、時代はまさに写真が発明されたころ。もう写真みたいに描かなくてもいいのだ。ということで路頭に迷うかと思いきや彼らは開放されて、遠近法も写実もなくなって西洋絵画は抽象へと大きく流れを変えたらしいのです。そうか、そうか、日本すごい。日本画なかったら印象派もなかっただろう、どうだい。へへ!
でもちょっと待って、自慢するのは早い。反対に西洋の絵画を発見した日本画はどうなったか?それが実はまずいのです。今になっても日本画はのたうち回って苦しんで道を見つけられないでいる。(と思うのですが、間違っているかな?)だからごまかすために封建社会みたいな画壇を作って大家の先生を奉っているとか?
あの理路整然とした遠近法を発見してしまった明治の日本画家たちにはもう平家物語絵巻のような描き方はできなくなってしまった。知らないふりなんてできないし。じゃあ、昔の墨絵のすごい人たちがやったみたいに濃淡で空間を表したり、北斎らの浮世絵師みたいに線やコンポジションの妙でゆがんだ空間を作り出したら?ゆがんだ空間でなくてデフォルメされた人物を描いて惨めな結果になったり、狩野派のようにただきれいな模様を工芸的に描いている人もいる、でもそんなの面白くない。岩絵の具をこてこて塗ってマチエールを出している人もいるけれどいづれも、成功しているとは言えない。あーあ、ってため息をついてしまう。あれ。面白いかも、と思わせるのは無名な日本画の人が多い、大家だから表現が自由ではないのだろうか。だれか道を示した人はいるのだろうか?そして日本の西洋絵画は?北斎の子孫として日本の枠を超えた画家はいたのであろうか?明治の大家、梅原龍三郎や安井曽太郎の絵を見てもなかなか健闘して、よい絵を描いているのだが、西洋の著名絵画に比較すると弱い作品だし、世界ではまったく評価されていない。このことをどう考えればよいのだろう。そして昨今の世界的に評価されている日本の現代作家たちの活躍はどこから来たのか。
年頭に北斎を見ながら考えている。でもこのことは昔からずっと考えている日本美術のなぞである。