作家紹介

ピエール・バルー Pierre Barouh

音楽家/作詞家/映像作家/俳優/プロデューサー




2013
5月10日 サラヴァ東京にてライブ。ゲストに小野リサ。
2012
5月12日 サラヴァ東京にてライブ。ゲストは大貫妙子、清水靖晃。
5月13日 ル・ポレン 30th Anniversary 同窓会~トーク&ライブ。かしぶち哲郎、鈴木慶一、武川雅寛らとともに。
2011
1月 ロベール・ドワノーと郊外について、映画上映会とトークをサラヴァ東京にて開催。堀江敏幸、大竹昭子とともに。
2月17-18日 サラヴァ東京のグランドオープンにてヤヒロトモヒロ、鶴来正基、マイア・バルーらとライブ。
7月 港千尋と「ピエールバルーの映画作法」というタイトルで初期の映画を語る。
9月 フランスでエッセー、Rivieres soutteraines(地下水脈)が刊行される。
10月 フランスで60年間のクリエーションの中で自然と人とのかかわりをテーマにした2枚組のコンピレーション "Divers Dit Vert" をリリース。
2010
7月 『SPIRAL en Meeting #2』ゲストからゲストへ「縁」を紡ぐリレートーク。 会場:青山スパイラル8F ラウンジアンクルハット
2009
11月 『ピエール・バルー監督映画祭』 会場:フランス語・フランス文化センターアリアンス・フランセーズ仙台 ピエール・バルーが監督した未公開のものを含むフィルムを全5本上映、ミニコンサートやトーク、ワークショップも行う。
12月『ピエール・バルーの花粉現象 Effet pollen de Pierre Barouh』クリスマス上映会 会場:渋谷アップリンク・ファクトリー 第一夜「SARAVAHの夜」第二夜「アコーデオンの夜」
2008
1月  大貫妙子のアルバム「カイエ」の楽曲を中心としたビデオクリップ『カイエ(DVD)』に出演したものを新編集にてリリース。
7月 『渋谷巴里祭』出演 会場:Shibuya O-WEST
10月 『サラヴァレーベル紙ジャケット、リマスターCDコレクション』 ピエール・バルー「サ・ヴァ、サ・ヴィアン」「ル・ポレン」「ヴァイキング・バンク」など9タイトル発売。
11月 CD『サラヴァの10年』〈初回出荷限定盤(完全生産限定盤)〉リリース。
11月-12月 『Pierre Barouh Tour 2008 日仏交流150周年記念公演』 関東、関西、東海、九州、東北など10カ所で開催。
2007
4月 『高泉淳子(遊機械)&ピエール・バルー トークライヴ』 会場:名古屋 Cafe Dufi(カフェ デュフィ)
7月 9年ぶりのオリジナル・アルバム『Daltonien』CD+DVDをリリース。
9月 ピエール・バルー コンサート2007『カルネ・ド・ボール 航海日誌』 会場:恵比寿ザ・ガーデンホール
9月『パリからシャンソンがやって来るⅡ』 会場:青森県立美術館シアター
11月 衛生デジタルラジオ放送 MUSICBIRD THE JAZZにて放送される ピエール・バルー、ジャン=ピエール・マス (piano)、ヤヒロ トモヒロ (perc.)、井野信義 (Wood bass)、マイア (Backing vocal & Flute)、ちんどんブラス金魚 (ちんどん) スペシャルゲスト:高橋幸宏、カヒミカリィ
12月『Reading & Talk Event「カタリココ」第10回 最終回スペシャル』ゲスト出演。 会場:Rainy Day Bookstore & Cafe ナビゲーター:大竹昭子(文筆家)
12月『シネアスト(映画作家)・ピエール・バルー』 会場:東京日仏学院( 表作『サ・ヴァ、サ・ヴィアン』と短編映画をバルー本人の解説付きで上映。
2003~2006
フランスで『L'EFFET POLLEN / 花粉現象』と銘打ったリサイタル・ツアーをする。
ヴァンデのエルビエ市劇場が、"ピエール・バルー劇場"と命名される。
フランスのフレモー&アソシエ社より、サラヴァ・レコードの35年間に渡る軌跡をまとめたアルバム(2枚組のコンピレーション・ボックス)『LES ANNEES SARAVAH 1967-2002』が発売される。
1977年に発表したソロ・アルバム『VIKING BANK / バイキング・バンク』再リリースされる。
第5回目の"シャンテ・ガンゲット"に、サンセヴェリーノと、日本のネオ・チンドン・バンド、かぼちゃ商会を招待し、ワーク・ショップと、異文化セッションを敢行する。
1960年代前半の貴重な音源を集めた、コンピレーション・アルバム『SAUDAGE / サウダージ』をリリース。この作品には1962年-1963年に発表したシングル盤の楽曲や、バーデン・パウエルと録音した名作『サウダージ』、また盟友モーリス・ヴァンデールらと新たに録音した未発表曲などが収録されている。
中村善郎と、ヤヒロトモヒロのツアーに参加。北海道、九州地方をまわる。
パリの"カフェ・ドゥ・ラ・ダンス劇場"で、リサイタル。
ビーアの3作目のアルバム『CARMIN / カルマン』をプロデュース。
フランス各地にて、リサイタルを開催。
日本においてDVD『サラヴァ』『サ・ヴァ、サ・ヴィアン(bis…)』『アコーデオン』をリリース。
東京、大阪にてフィルム・フェスティバヴァルを開催。日本初上映となる映画『サ・ヴァ、サ・ヴィアン』、『LEDIVORCEMENT』、その他短編作、ヴィデオ作品などを上映する。
ブラジルのビスコイトフイーノ社より、ブラジルを含む南米の国々で、DVD『サラヴァ』が発売される。
プロモーションのためブラジルに滞在。新旧のミュージシャンと交流を深める。
「フランスにおけるブラジル年」の記念行事に参加。ミュージシャンのロベルト・メネスカル、ジルベルト・ジル、映画監督のウォルター・サレスらと、多数のイヴェントに出演する。
クロード・ルルーシュ監督の映画『LE COURAGE D'AIMER』に、楽曲(3曲)を提供。俳優として友情出演する。
パリの"テアトル・ヨーロピアン"にてリサイタル。
ヴァンデで開催された"旅の映画フェスティヴァル"にて、審査員長を務める。
ホーム・レスの人たちと一般の人を集めて、パリでリサイタルを行う。
2006年、「サラヴァ・レコード創設40周年記念」のコンサートを、フランスの40ヵ所の会場にて開催。
「サ・ヴァ、サ・ヴィアン―目をあけて夢みる者たち…」出版。(求龍堂 / 2006年4月)( 原書名:Ca va,ca vient : Ceux qui revent les yeux ouverts ピエール・バルー著 あつこ・バルー訳
2000~2002
フランス共和国より、芸術文化勲章功労賞を受勲。
ヴァンデ(フランス)のエルビエ市劇場で「ピエール・バルー週間」と題したリサイタルを開催。その後、パリ、東京でリサイタルを開く。
2度目のカンボジア滞在。現地で撮影したドキュメンタリー作品『PHNON TISO』を監督、製作する。
エリック・ギイユトンのアルバム『ET S'IL ETAIT DEUX FOIS』をプロデュース。サラヴァ・レコードよりリリースする。
ケベックにてリサイタル・ツアーを行う。
ケベックの(サマー・フェスティヴァルで開催される)音楽コンクールで、審査員長を務める。
カナダ・ヴァンクーバーにて、バーデン・パウエルの追悼コンサート"バーデンへのオマージュ"をプロデュース。ミュージシャンとして活動するパウエルの息子、ルイ・マルセルとフィリップ・バーデンを招待する。
ヴァンクーバーとケベックのサマー・フェスティヴァルで、映画(監督作品)を上映。
サラヴァ・レコードが、パリからナント(フランス)に移転する。
ヴェロニク・バルモンのニューアルバム、クレール・エルジェールのファースト・アルバムをプロデュースする。
フランスにて、コンサート・ツアーを行う。
ヴァンデの自宅にて、"CHANTEZ GUINGUETTE / シャンテ・ガンゲット" と銘打った、手作りのサマー・フェスティヴァルをスタートさせる。国内外から様々なアーティストを招いて、野外で開催されるこのイベントは、その後、ヴァンデの恒例行事に発展する。
1998~1999
14年ぶりのフル・オリジナル・アルバム『ITCHI GO ITCHI E』(通算7枚目のソロ・アルバム)を発表。「サラヴァ・レコード創設30周年」を記念して制作されたこの作品は、フランス、ブラジル、カナダ、そして日本を旅しながら、時間をかけてレコーディングされた。
イヴ・モンタンが生前にレコーディングした『ラスト・チャンス・キャバレー』が発売される。
サラヴァ・レコードより、アラム・セダフィアン、フランソワーズ・クシェイダ、フレッド・プレ、カルテット・エラン、ジャン=ピエール・マス・トリオ、ジェラール・ピエロンらのニュー・アルバムがリリースされる。
アルバム『ITCHI GO ITCHI E』のプロモーションのため、パリとフランスの地方都市、クレモンフェラン、ナント、ヴァンデ、そしてケベックを回り、各地でリサイタルを開く。
ビーアの2枚目のアルバム『SOURCES / 泉』を、ブラジルにてレコーディング。
1994~1997
フランス共和国より、芸術文化勲章オフィシエ章を受勲。
日本各地(東京、名古屋、大阪、横浜)にて『ラスト・チャンス・キャバレー』を上演。日本の俳優たちと共演する。
写真家、ロベール・ドアノーと、俳優、緒方拳のフォト・セッションの模様を撮影したドキュメンタリー作品『時と時刻』を、パリで撮影。
サラヴァ・レコードに、フレッド・プレ、ダニエル・ミル、フランソワーズ・クシェイダ、ジェラール・アンサロニ、そしてブラッサンスの朋友、ピエール・ルーキなど、多くの新人が参加する。
「サラヴァ・レコード創設30周年」を記念した"サラヴァの夕べ"を日本で開催。フランソワーズ・クシェイダ、ダニエル・ミル、ビーア、ジャン=クリストフ・マイヤールなどと、東京、京都、青森でコンサートをする。
サラヴァ・レコードにおいて、バンジャマン・バルーが主宰する新レーベル「COLLECTION POPO CLASSIC」を発足させる。エチエンヌ・ブリュネ、ドラジビュス、ビッグ・ミニなど、ポップでアヴァンギャルドな新世代ミュージシャンの作品をリリースする。
NGOの「フランス・リベルテ」に招かれ、エリック・ギイユトンと共にカンボジア全土をツアーする。その時のドキュメントを撮影したヴィデオ作品『LA RENCONTRE JOYEUSE』を監督、製作。
1986~1993
フランス共和国より、芸術文化勲章シュヴァリエ章を受勲。
クロード・ルルーシュ監督の映画『IL Y A DES JOURS...ET DES LUNES / 夏の月夜は御用心』にテアトル・アレフのメンバーと出演。ステージで歌った『ラスト・チャンス・キャバレー』と『タイム・イズ・マネー』の2曲が、サウンドトラックに採用される。
倉本聰が脚本を手がけた、高倉健主演の映画 『海へ See You 』のテーマ曲『ROSE DES VENTS / 風のバラ』(宇崎竜童との共作)を歌う。
オスカー・カストロと共作(戯曲、演出)した音楽劇、『失敗受けつけます』『ラ・トラララヴィアタ』『風の記憶よ覚えていておくれ 私たちの歌を:マレンケ』の3作を上演。すべての公演に出演する。その後、この3作品の歌曲を集めた編集アルバム『AU KABARET DE LA DERNIERE CHANCE / ラスト・チャンス・キャバレー』(作曲は劇団のメンバーであるアニタ・ヴァレッホ。作詞と歌はピエール・バルー。ブックレットの写真撮影はロベール・ドアノー)を制作。サラヴァ・レコードよりリリースする。
チリにて、ドキュメンタリー作品『ON S'AIMAIT TANT A SANTIAGO』を制作。フランス国営テレビの番組にて放映される。
日本のテレビ番組『フリーゾーン2000』において8本のドキュメンタリー・フィルムを製作。
6作目のソロ・アルバム『SARAVAH / サラヴァ』を、リリース。(この作品は、その後楽曲を追加して、1997年に『NOEL / ノエル』というタイトルで発売)
リシャール・ガリアーノらとアルバム『サラヴァ』の発売記念コンサートをフランスと日本で開く。
キューバの国立映画学校"SAN ANTONIO DE LOS BANOS"にて講師をする。
アラン・ルプレスト & リシャール・ガリアーノのデュオ・アルバム『VOCE A MANO / ヴォーチェ・ア・マーノ』をプロデュース。この作品は1993年度のアカデミー・シャルル・クロ・グランプリ(フランス)を受賞した。
フィリップ・レオタールのアルバム『A L'AMOUR COMME A LA GUERRE』をプロデュース。
1984~1985
5作目のソロ・アルバム『SIERRAS / シエラ』をリリリース。日仏合作のこの作品は、パリと東京でレコーディングを行い、両国のミュージシャン(坂本龍一、高橋幸宏、加藤和彦、清水靖晃、ムーン・ライダーズ、フランシス・レイ、ルイス・フューレイら)が参加した。
坂本龍一、清水靖晃らと、東京のゆうぽうと簡易保険ホールにてコンサートを行う。
フランスに亡命したチリの演出家、オスカー・カストロと出会い、戯曲を共作。カストロが主宰する劇団、テアトル・アレフの公演を共同で演出する。第1作目の音楽劇『ラスト・チャンス・キャバレー』を、パリのバタクラン劇場で上演。
1983
フランスにて、アルバム『ポレン』をリリースする。発売記念のリサイタルを、パリのカルダン劇場と、フランスの地方都市ポワチエで開催。日本から清水靖晃、ムーン・ライダーズをゲストに招き、公演を行う。(このリサイタルを収録したライブ・アルバムは、2001年に発売)
1982
日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)の招きで、初めて日本を訪問。東京にて、高橋幸宏、加藤和彦、清水靖晃、ムーン・ライダーズ(鈴木慶一、岡田徹、白井良明、武川雅寛、橿渕哲郎、鈴木博文)、坂本龍一、デヴィッド・シルヴィアンらとレコーディングを行い、4作目のソロ・アルバム『LE POLLEN / ポレン』を制作する。
東京郵便貯金ホールにて、初めてリサイタルを開く。
1978~1981
フランスの名優、ミシェル・ピコリと、イタリア人女優、レア・マサリを起用し、3作目の長編映画『LE DIVORCEMENT』(ゴーモン製作・配給)を監督する。
ルイス・フューレが音楽を手がけた、キャロル・ロール出演の映画『FANTASTICA』のサウンドトラックをプロデュースする。
サラヴァ・レコードにおいて、映画音楽の出版を始める。『アルジェの戦い』『ハンナK』『マルチニックの少年』『ルシア』などの、サウンドトラックをリリースする。
モラーヌがサラヴァ・レコードに加わり、ファースト・アルバムをプロデュースする。
モラーヌとカナダのケベック州にてツアーを行う。ケベックのミュージシャン、ミシェル・リヴァー、フランソワ・クジノらを交え"歌と映画の夕べ"を開催。
1974~1977
ジャック・ロジェ監督の『LES NAUFRAGES DE L'ILE DE LA TORTUE』に出演。ピエール・リシャール、ジャック・ヴィルレと共演する。
ジャン=フリップ・グード&オリヴィエ・コールの電子音楽アルバムと、ジェローム・サヴァリのアルバムを制作。
キャロル・ロール、ルイス・フューレのアルバムをプロデュース。
長編作『L'ALBUM DE FAMILLE』(ゴーモン製作・配給)を監督する。
サラヴァ・レコード設立10周年を記念した、2枚組のコンピレーション・レコード『LES DIX ANS DE SARAVAH』を制作。
フランスの地方都市、ドルドーニュのエイメで、"旅の日々"と題したフェスティバルをプロデュースしデヴィッド・マクニール、チック・ストリートマン、マジュン、アラム・セダフィアンらとコンサートを開く。また、世界のラグビー・チームを招き、アマチュア・ラグビーのチームと共に、7人制ラグビーのトーナメントを開催。
サード・アルバム『VIKING BANK / ヴァイキング・バンク』を録音。サラヴァ・レコードよりリリースする。
1970~1973
長編フィクション『CA VA, CA VIENT / サ・ヴァ、サ・ヴィアン』の脚本、監督を手がける。テーマ曲『サ・ヴァ、サ・ヴィアン』は、映画にも出演した演劇界のスター、ジェローム・サヴァリとの共作。
サラヴァ・レコードより、セカンド・アルバム『サ・ヴァ、サ・ヴィアン』をリリース。
アート・アンサンブル・オブ・シカゴとアレスキー・ベルカセムが参加した、ブリジット・フォンテーヌのアルバム『COMME A LA RADIO / ラジオのように』を制作。
パリの映画館"ラヌラーグ"で、"SOIREES SARAVAH / サラヴァの夕べ"(音楽、映像、アート・パフォーマンスなどのコラボレート・イヴェント)を開催。監督作品(映画)の上映と、ライブを行う。ルフュス、ブリジット・フォンテーヌ、アレスキー・ベルカセム、ジャック・イジュラン、バーデン・パウエルが参加。
パリの"パラス劇場"にて、約1ヵ月間に渡り"サラヴァの夕べ"を開催。監督作品の上映と、サラヴァのミュージシャンの公演を行う。イジュラン、フォンテーヌ、そして新規にサラヴァに参加した、デヴィッド・マクニール、ガボン共和国のシンガー・ソング・ライター、ピエール・アケンダンケ、ブラジル人のパーカッショニスト、ナナ・ヴァスコンセロス、マジュンなどのライブを行い、大成功を収める。
フランス南部の都市、ヴェゾン・ラ・ロメーヌ、カルパントラにて、サラヴァのミュージシャンが全員無料で出演するフェスティヴァルを開催。またこの模様を記録した映画を製作する。
毎週月曜日、パリの"テアトル・ムフタール"にて「ムッフの月曜日」と称した"サラヴァの夕べ"を開く。
サラヴァ・レコードに、ジャック・トリーズ、バルネ・ウィラン、アラム・セダフィアン、チック・ストリートマン、ジャン=ロジェ・コシモン、スティーヴ・レイシー、ラリー・マーティン、アルフレッド・パヌーが参加。
アルフレッド・パヌーのラップと、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの即興演奏を収録した、パヌーのシングル盤『JE SUIS UN SAUVAGE』をリリース。
1969
ドキュメント映画『SARAVAH / サラヴァ』を製作。初監督する。リオ・デ・ジャネイロで撮影されたこの作品には、ピシンギーニャ、ジョアン・ダ・バイアーナ、バーデン・パウエル、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ、マリア・ベターニアなどの、貴重な映像が収められている。
1968
フランスのグルノーブルで開催された、第10回冬季オリンピック大会の記録映画『13 JOURS EN FRANCE / 白い恋人たち』(クロード・ルルーシュ、フランソワ・レシェンバック監督)のテーマ曲他、数曲をフランシス・レイと共作する。
イヴ・モンタンが歌った『LA BICYCLETTE / 自転車』(フランシス・レイとの共作)が、大ヒットする。
パリでエリス・レジーナと、シコ・ブアルキの『NOITE DOS MASCARADS』のフランス語ヴァージョン『LA NUIT DES MASQUES / 仮面の夜』を、レコーディングする。その後、ブラジルのエリスの家に滞在し、現地のテレビ番組などで共演。
1967
サラヴァレコードと契約した、ブリジット・フォンテーヌ、アレスキー・ベルカセム、ジャック・イジュランのアルバムを制作。
パリの "ヴュー・コロンビエ座"にて、アメリカのフリージャズ・バンド、アート・アンサブル・オブ・シカゴとブリジット・フォンテーヌ共演のコンサートを制作する。
パリのモンマルトルに、サラヴァのレコードや雑貨、本などを販売する"ブティック・サラヴァ"(ピエール・バルーのセレクト・ショップ) をオープン。またショップの隣に、手作りのレコーディング・スタジオを開設し、サラヴァのミュージシャンなどのレコード制作を始める。
ジャック・イジュランとアレスキーのアルバム『L'INUTILE』を、サラヴァのスタジオで初めてレコーディングする。
クロード・ルルーシュ監督の映画『パリのめぐり逢い』の音楽をフランシス・レイと手がける。イヴ・モンタン、アニー・ジラルド、キャンディス・バーゲンが共演したこの作品は、ゴールデン・グローブ賞の外国映画賞を受賞する。
1966
映画 『男と女』が、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。またアカデミー賞(外国語映画賞、オリジナル脚本賞)、ゴールデン・グローブ賞(外国映画賞、主演女優賞)、その他、世界各国で41の映画賞を受賞する。
『男と女』 の主題歌が世界中で大ヒットし、世界各国でカヴァー・ヴァージョンが作られる。
1965
音楽出版と制作のプロダクション、サラヴァ出版(サラヴァ・レコード)を設立する。
AZ社より、ファースト・アルバム『VIVRE / 生きる』 をリリース。(同アルバムには、映画 『VIVRE POUR VIVRE / パリのめぐり逢い』の挿入歌で、フランソワーズ・アルディーや、パタシュ、アニー・ジラルドが歌った『DES RONDS DANS L'EAU / 水の中の環』が含まれている)。
クロード・ルルーシュ監督・製作の『LES GRANDS MOMENTS』に出演。
ヴィニシウス・ヂ・モライスが脚本を書いた、映画 『ARRASTAO / (仏題)LES AMANTS DE LA MER』に出演するため、ブラジルに行き、撮影終了後も現地に滞在。バーデン・パウエルら、ブラジルのミュージシャンと親交を深める。またモライスとパウエルが共作した名曲『SAMBA DA BENCAO』のフランス語ヴァージョン『SAMBA SARAVAH / サンバ・サラヴァ』を完成させ、バーデン・パウエルの自宅にて、パウエル、ミルトン・バナナ、オスカー・カストロ・ネビスらとプライベート録音をする。
フランスにて、クロード・ルルーシュと、映画 『UN HOMME ET UNE FEMME / 男と女』の撮影を開始。俳優として出演する他、フランシス・レイと共に音楽も手がける。また、ブラジルで録音した『サンバ・サラヴァ』をサウンドトラックに取り入れる。
1964
クロード・ルルーシュ監督の4作目の長編映画 『UNE FILLE ET DES FUSILS / 女と拳銃』に出演。
1963
ノエル・オワール監督、ジョニー・アリディ主演の映画 『D'OU VIENS-TU, JOHNNY ? / ジョニーはどこに』に出演。シルヴィ-・ヴァルタンと共演する。
ジェラール・シール製作の(ピエール・バルーの音楽作品をテーマにした)テレビ番組の撮影で、クロード・ルルーシュと出会う。
AZ社より、ルシアン・モリスのディレクションによるシングル盤を数枚リリース。
1962
ポール・デルソル監督の映画 『LA DERIVE』に出演。
テネシー・ウィリアムズ原作の演劇 『THE GLASS MENAGERIE / ガラスの動物園』(パリのブルイエール劇場にて公演)に、ジム役として出演。
パリで、ヴィニシウス・ヂ・モライス、バーデン・パウエルと出会う。
バーデン・パウエルと『SAUDAGE / サウダージ』を、プライベート録音する。
ベルギーのPALETTE RECORDSより、レコード・デビュー。シングル盤(45回転レコード)『LE TOUR DU MONDE / 世界一周』『LE PETIT CINE / 小さな映画館』をリリース。
フランスのAZ社より、シングル盤を数枚リリースする。(ディレクターは、当時、フランスのラジオ局 "ウーロップ・アン/ EUROPE 1"のプロデューサーをしていたルシアン・モリス)
1960~1961
映画監督、ジョルジュ・ロートネルの第2アシスタントを務める。 同監督から、映画 『ARRETEZ LES TAMBOURS』の出演を勧められ、同映画で俳優としてデビュー。劇中、自作曲『LES FILLES DU DIMANCHE / 日曜日の娘たち』を歌唱。
フランシス・レイと組んで、楽曲制作を始める。
1959
スポーツ記者として『パリ・プレス』誌と契約。
ポルトガルのリスボンで出会ったブラジル人ミュージシャン、シブーカの演奏をきっかけに、ブラジル音楽に傾倒。貨物船に乗り込み、リオ・デ・ジャネイロ、サントスに行く。
1949~1958
15歳の時、ヒッチハイクをしながら、北欧、イスラエルなどを放浪する。
バレーボールの選手として「フランス・ナショナル・チームB」に加入。
徴兵制度により、1954年から2年と3ヶ月間、空軍に入隊。兵役中は、内地(パリ市内)の空軍バレー部に所属する。
1948
当時住んでいたアパートの隣にあった"エデン"という映画館で、マルセル・カルネ監督の『LES VISITEURS DU SOIR / 悪魔が夜来る』を見る。脚本を手がけたジャック・プレヴェールの台詞(歌)に感銘を受け、生涯 "言葉と映像と音楽 " の表現者になることを誓う。
パリ郊外のガレンヌ・コロンブのスポーツクラブに加入し、バレーボールを始める。
1940~1945
第2次世界大戦中、ゲシュタポの取り締まりから逃れるため、フランス・ヴァンデ県の小さな集落に疎開し、農家に身をあずける。戦後、11歳でルヴァロワ・ペレの実家に戻る。
1934.2.19
フランスに移民したユダヤ系 トルコ人、ラファエル・バルー(父)とサラ(母)の第2子として、パリ郊外のルヴァロワ・ペレに生まれる。

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