2017年4月24日 更新

ソビエト革命のあだ花、そしてパオロッツィーのバラエティな芸術人生


ロシア革命から今年で100年らしい。それで様々な企画が、東京ではエルミタージュが来ていたけれど、ここ、ロンドンでは革命、ロシアンアート1917-1932
ロイヤルアカデミーのサイト

たったの15年間に起こった希望のムーブメント。

革命後、レーニンは芸術を革命の一部と認め、新しい世界の実現に希望をもった画家たちが力強いアートを制作した時代だった。しかし1922年レーニンが死にスターリンが権力をにぎると人民にわかりやすい表現でないといけないことになりアーチストは弾圧させらた。しかしそれでも彼等は命がけで制作、発表し続け、そして1932年「ソビエト共和国15年のソビエトアーチスト展」を最後にスターリンの徹底的弾圧が本格的に始まります。ソーシャルリアリズム以外の芸術は禁止されたのです。
そのたった15年間の彼等の必死の戦いをたどる展覧会でした。

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1932年の展示が再現された、マレーヴィッチのコーナー

例の32年の展覧会でマレービッチは一部屋与えられて数点素晴らしいのを壁にかけたのですが、当時の写真をもとに全く同じ絵をおなじ設営で再現したコーナーは圧巻でした。黒で塗りつぶされた真四角の画面、赤で塗りつぶされた真四角の画面、モノクロームが壁の上の方左右対称に置かれている。これは抽象絵画の到達点。と後に言われた、歴史的な絵画である。イブ・クラインより30年も前の事である。

スターリンによって芸術家のいじめは始まって、例えば食料は配給制で支給されたのですが、農民が一番もらえて次は政府の役人、芸術家はブルジョワと同じ扱いで農民の1/3しか食べ物がもらえなかった。飢えをしいられたのです。彼等は工業や農業を讃える絵を描かせられるのですが、そこにも抽象画の描き方、あるいはかれらの個人の思想や美に対するセンスを入れないではいられなかった。多くの芸術家がそうやって逮捕され、拷問の末死刑、あるいはシベリア送りになった。マレービッチだって逮捕され拷問を受けた。そんな命の危険を犯しながらも彼等はやり続けた。と言うことに芸術家の業をかんじます。彼等は例えば強制移住の犠牲になった、とかではなくて、どんな危険があるか理解していながら巨大な権力の壁に向かって勇気ある武士のように筆ひとつふりかざして真っ正面から戦ったのです。

カンジンスキー、シャガールなどもそれぞれ革命後に希望に満ちてソビエトに戻るが、7年後、スターリンが権力につく直前にヨーロッパに去って命拾いをした。しかし、1907から22までの5年間はソビエトで制作していた。彼等の革命絵画も展示されていた。

なぜ多くの芸術家が殺されたのか?それはスターリンが実は芸術の理解者でだからこそ芸術が社会に及ぼす力を理解していたからだ。と解説に描いてありました。なんと彼は理解者であったが愛してはいなかったのだ。そしてスターリンが恐れた物は、個人の自由。芸術はそれぞれの人の心に訴えかける自由への渇望ではなかったか。

そして芸術家達は命と引き換えに作品を発表し続けた。歴史の中で自由の為、思想のために殺された人たちは数多くいるけれど、彼等はそうするしかなかったのであろう。芸術と命がイコールで繋がっているのだから。

ほんの15年の間に花開いたソビエト革命絵画。あらためて芸術の持つ力に圧倒された。

展覧会の最後の部屋でスライドショーがあり、スターリンに寄って逮捕された人々の延々とした正面と横顔のポートレートが続く。「なにがし、27歳、看護師、死刑。」というようなサブタイトルがひとつひとつについている。農民あり、教師、エンジニア、あらゆる職業、年齢の顔が凄いインパクトで写真展としても強烈であった。


(筆が遅すぎてこの展覧会はもうおわってしまっているのですが。しかも会場では写真禁止だったので画像がないの申し訳ないと思いつつ。)

もう一つ、これはまだもう少しやっている展覧会です。

エドワルド・パオロッティー 
Eduardo Paolozzi @White chapel gallery 16February -14 May 2017
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展覧会のサイト


紹介ヴィデオ

この人の作品は何かの展覧会でクロームの彫刻があったのしか覚えていなくてしかも展覧会のポスターをみて最近流行のテクノ系のグラフィックアーチストかと思っていたのですが、評判がいいので行ってみたら20世紀の重要なアーチストだと言う事を発見して驚きました。とにかくこの人多作。そして変容を恐れない勇気と好奇心がみなぎっています。加えて叙情的な表現ができる上にエンジニア的な高性能力にも長けています。

ポップアートの先駆者。

エドワルド・パオロッジはスコットランド生まれのイタリア移民の二世。両親はエジンバラでアイスクリーム屋さんを営んでいた。美大で勉強した後23歳で最初の個展をロンドンで開く。

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これがその時の作品、既に迫力がある。かなりピカソを意識しているかも。

個展で作品が売れたのですぐにパリに勉強に行く(1947年)そこでジャコメッティ、ブランクーシ、アルプ、ブラックなどと知り合いになる。パリで過ごした2年間は彼の一生に大きな影響を及ぼした。とくにジャコメッティの影響が後の拾って来た物をくっつける彫刻のヒントになったという。1949年にロンドンに戻る。
File_002.jpegのサムネイル画像
こんな感じ、とてもよい。

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それがあっという間にこういう風になって(1950年頃から)同時にポップアートの試みが始まる。

先駆者そして走り続ける

1947年から1952年の間にBUNK!と言う名前の45枚のコラージュを作る。
一枚目がこれ、『私は金持ち男のおなぐさみ』どう見てもポップアートでしょ。
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彼自身はシュールレアリズムだと言っていたそうですが。そしてもちろん彼が正しいと思いますが、ポップアートの先駆者である事は間違いないです。
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こんな素敵なコラージュを作っていた。確かにコラージュはシュールレアリズムの連中の十八番だが戦後のアメリカ文化がどどっと流れてきた状況で雑誌の切り抜きをすれば、そしてセンスの良いパオロッツィがやるとこういう風になる。もうそれをポップカルチャーと呼ぶかどうかはどうでもいい気がしてくる。シュールの連中だって印刷物やら何やらを拾い集めてきたのは同じことだから。

彫刻だって休む事なく作り続け、テーマは「人間と機械」にだんだんしぼられて行くかに見える。しかしこの人間と機械というテーマは産業革命以来のテーマなのだろうか。昨日アツコバルーギャラリーで終了した「バッテラ展」の寺田氏の描く「天女と機械」韓国人アーチスト イ・ブルの「サイボーグ」など多くの作家が扱うテーマである。この人の場合はうがった見方かもしれないが、合理的な考えと叙情的な気持ちが同居する人間の頭の中を描いているのではないか。あるいは機械に支配されていく人間の姿。まあ、幸せそうな顔はしていないので自然から遠ざかって鬱になっている都会の人間を表していると見ていいだろう。

そしてやってくるのがポスター。私は横尾忠則さんのポスターかと思った。時代を見ると1960年代後半、横尾氏が天井桟敷のポスターを描いたのが1968年頃なので同時代である。どちらがまねた訳でもあるまい。

以下、続く。フランス大統領選挙の結果を見てやはり。とがっかりしたので、少し筆を置いて前半のみアップする事にした。

潮田 バルー あつ子
アツコ・バルー
Atsuko Barouh

ラミュゼ主宰 / 通訳・翻訳家


ラミュゼ主宰。パリ第五大学人類学科卒業。フランスのインディレーベル『SARAVAH(サラヴァ)』の運営に1988年より関わる。2002年『L'amusée(ラミュゼ)』設立。滞在型イベントハウス『ラ・ケヤキ』(2003年)、ライブハウス『サラヴァ東京』(2011年)につづき、アートスペース『アツコバルー arts drinks talk』(2013年)をオープン。渋谷を拠点に文化の交流と発信に情熱を傾けています。

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