2017年1月18日 更新

井上 洋介 リヒャルト・エルツェ、2016年マルセル・デュシャン賞受賞候補、カデール・アティアのヴィデオ作品 そして家族の死


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戦争の思い出とナンセンス


井上洋介は1931年に東京の下町で生まれ、2016年に始めに亡くなられた作家、寡聞にして、クマのこウーフなどの絵本でしか私は彼の絵を知らなかったのだが京橋のアートスペース繭の梅田さんで見せていただいた彼の絵画作品の力づよさにガーンと一発食らった感じで急遽展覧会を開くことにした。とは言ってもこのブログがアップされる頃にはすでに展覧会は終了している。しかし3月に新宿区大京町のアートコンプレックスセンターにてまた違う大規模展が開かれるので是非そちらに見に行かれると良いと思う。本当に素晴らしい作家である。

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私は井上さんについて全く無知だったので過去のインタビューをネットで読ませてもらって説明としては彼の絵画をなんとなくわかった気がしている。こんな感じだ。(以下抜粋)

「絵本のお仕事と併せて、油彩を中心としたタブロー(絵画)の制作もずっと続けてらっしゃいますが、独特な世界観を持つタブローの発想の源は一体どういうものなのでしょうか?


井上:
美術学校の卒業制作辺りから、なんとなく現代の不条理をモチーフにしたいという気持ちがありました。
その後、徐々に、自分が少年期に体験した爆弾の恐怖や飢えといった記憶が思い起こされて、今ではそんな記憶がタブローの発想の源となっているような気がします。
戦争の災難とか、自然の災難も含めて、人間が受ける苦痛というのは、時代によって変わるものでは無いような気がします。人間が被る災難を描きながらも、そんな災難の対極にある「ナンセンス」をいつもタブローに含ませたいと思っています。
まずタブローを見て、そのナンセンスさを笑って欲しいと思います。そしてその後、人間が被ってきた災難をふと思い出してくれたらな・・・と思っています。
http://www.tekona.net/pr/interview/17.php

彼は東京の空襲を経験している、それも下町の出身だから被害がひどかったに違いない。戦争の苦しみや恐怖を思い出しながら描いた絵なのだろうが対極にあるナンセンスな笑いがそこにはある。

二度の大戦に駆り出されて

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ちょうど同じ時期、ロンドンにある変わったギャラリーではリヒャルト・エルツェという二つの世界大戦に駆り出されたドイツの画家の回顧展があった。
ミカエル・ウエルナー ギャラリー は店舗ではなくて高級住宅街のお屋敷内にある。ある日前を通っていて小さくギャラリーと書いているのでブザーを押してみたら重厚な邸宅の中に導かれた。威圧的とも言える暗いマホガニーの階段の手すりの横で受け付けの年配の女性が刺繍をしていた。彼女は目を上げてにっこり笑った。そこで私はもう、この画廊がかなり好きになってしまったのだが。すごく変わった(良い意味で)全く売れ筋ではない作家の展覧会をしていたのでそれ以来マークしている画廊である。後で聞くとのこのウエルナーと言う画廊主は本人もコレクターでニューヨークでも店を開いている、ロンドンの店は最近開いたが、他の店にはない物を見せたいそうだ。こういう成金が嫌うようなタイプの作品を平気でおいているところを見るとフランスのアントワーヌ・ガルベール的なお金持ちの趣味人だと思われる。そして、普段見られない作家を発見させてくれる嬉しい場所である。
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新聞の記事から抜粋すると
エルツェは1900-1980生前は大きな国際展で活躍したが今はメインストリームから忘れられた作家になっている。マックスエルンストと共にシュールレアリズム運動に参加、彼の作風にはドイツロマン主義の影響が見られる。彼は第一次大戦に駆り出され瀕死の思い出で生き延びてパリで30年代のアート運動に関わるが、ドイツ国籍のままだったので第2次大戦がはじまると国に連れ戻されまたもや戦争に加担させられる。(今度は地図担当の事務職)

マックス・エルンストがあくまで画家だったのに対してエルツェはイヴ・タンギーやロベルト・マタに接近したりしたそうだ。そしてエルンストの初期によくやっていたデカルコマニから彼は独自に発展してパレイドリア(抽象的な形から具象的な形を見ること)もっと進んで灰や雲の世界に何かを夢想する絵に変わっていく。彼曰く、カフカの人物にインスパイアーされている、と言っていたそうだ。というのがつまみ食いをしたイギリスの新聞表である。

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東京の下町で、ドイツで同じ戦争の西と東で苦しんだ2人の画家が描いた世界を対比するとかなり興味深い。

井上は苦悩の対極にあるナンセンスで笑って欲しい。と言っていたが、あながちナンセンスは対極ではなくて戦争自体ナンセンスである、国家が犯せば大量破壊でも殺人でも無罪。そして理由もなく爆弾を落とされて焼かれる人たちの死もナンセンス。笑っちゃうしかないくらい訳がわからない。

かたやエルツェは真面目だから、(というのは勝手な型にはまったドイツ人評だが)ひたすら悲しみに頭を埋め、灰の中に面影を探し続ける。それははてしない記憶の作業。見えるような見えないような、怖いような懐かしいような。彼はとにかく我々に「目を凝らす。」という作業を促す。

墨流しのような灰汁のような不思議な画面に私はどんどん惹き付けられて入っていってしまう。そこは夢の世界の入り口で見る者たちは中にはいってそれぞれが独自の体験をするように仕掛けられている。

サイ・トゥオンボリーの天才


さてパリに移動して堂々たるサイ・トゥオンボリーの回顧展をポンピドーで見てガーンどころではない、絵画の王道を見せてもらった。いや、これはこれはもう絵画ではない、宇宙だ。と下の娘が行っていた通り、キャンバスと絵の具でここまでできるのだろうか、これは奇跡としか言いようがない。彼のような作家が近い時代に地球に存在していた事自体、我々は感謝しないといけない。そしてそれを見せてくれる美術館があることも素直に感謝するべきである。

まだ興奮冷めやらぬ頭をクールダウンさせようと同じ館内でやっている今年のマルセル・デュシャン賞の候補の展覧会(無料コーナー)に入り込んで実は少し休もうと思った。ところが候補の中の一人カデール・アティアのヴィデオ作品にこれまたのめり込んでしまった。

心と体の傷の修復の為のアート、カデール・アティア


reflechir à la mémoire (記憶について考察する)と言うタイトルのインスタレーションとヴィデオ。特にこのヴィデオに見入ってしまった。
事故や戦争、テロで片手や片足になってしまった人たち。よく聞いた事がある。失ってしまって、存在しないはずの手や指が痛かったり痒かったりして困るという。それを「肢体の幽霊」と呼ぶらしい。彼はこの事に注目して外科医、神経の専門家、心理学の研究者らのインタビューを通して痛みや失う。ということが何かを探っていく。

ヴィデオのところどころに出てくる絵画的な静止画映像で公園で立ち尽くしている短パンの男性、教会のベンチで手を組んでいる女性、何人かの人物が現れて消える。途中までなぜそのような人たちがいるのか意味がわからないでみているのだが、後半になると実は彼らは体の中心に鏡を置いている、と気がつく。もうなくなった片手や片足を鏡に映して見ると両方が元どおりにあるように錯覚する。なぜ、そんなことを、という答えを研究者(セラピスト)が説明する。「失われた体の一部を弔うための喪の作業の一つなのです。」と。

そこで考える。弔う。とはどういうことなのかと。喪の作業、とかグリーフワーク、モーニングとか心理学では言うらしい。

あああ、そういう事だったのか、とショックを受ける。と同時に片手を失った男性の証言が感動と勇気を与える。彼は少年の時に片手を失なってしまったがその事について深く考察し続け、片手でも、今では神経外科医として患者の為に尽くしている、彼が言うのだ、「自分は片手を失っていなかったら医者にならなかったろう。」と失う事で充実できた。というのだ。

アティアはインタビューでこんな事を言っている。自分の仕事にはいつもオクシモールと言う観念がある、という。オクシモールとは正反対のことをくっつけて言う、ようなことである。

井上、エルツェ、そして今40代のアティアが提言したのは愛しいものを弔うという喪の作業であった。と偶然の3つの出会いが一本の糸で結ばれた。

そして、一連の展覧会を見てから1ヶ月後、自分自身の連れ合いが急に亡くなった。心臓の動脈が三カ所も梗塞していたという。医者嫌い、薬嫌いで82歳で亡くなるまで薬を飲んだことがなかった。最近疲れているな、とは思ってはいたが、急にこうなる事とは予想していなかった。12月22日の朝に具合が悪いと言うので娘が医者を呼ぼうとしたら呼ばないでいいからだいじょうぶだからとしきりに止めたのだが。息ができなくなり救急車で病院に運ばれて人工的に昏睡状態のまま5日後に心臓が止まった。

私と息子は日本からとにかく一番早い飛行機で駆けつけ娘たちや前の結婚の息子、親戚もフランス各地から集まって来ていた。毎日ICUに通ったのだが、とくに2人の娘たちはなんとか目を覚ましてもらおうと病室で音楽を聴かせていた。時々まぶたや足先がピクリと反応したらしい、涙も流れたが意識があったのかはわからない。それでいよいよ心臓が弱くなってきた時も娘たちは祈るように彼の歌のCDを流していた。それでも4時間ほどしてフーッとろうそくの火が消えるようにモニタースクリーンの心臓の波が平らになってしまった時、流れていたのは彼の昔の曲でサウダージという曲だった。

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ピエール・バルーとバーデン・パウエル

もう50年前の録音で、ある日うちの屋根裏で発見されたのをCDにしたものだ。若きピエールとバーデンパウエルがギターと歌、そして語りでサウダージの意味はなんだろうと語っているものだ。そこでピエールは言っている、「サウダージというブラジル特有の美しい表現がある、自分はずっとフランス語でなんといったらいいのか探していた、そして見つかったのがこの言葉 manque habité だ。」まさに50年前の彼がそう言っている時に心臓は止まった。
manqueというのかミスと同じ意味、ない、とか、失う。ということだ。habitéは反対にいる、とか住んでいる、ということだ。これはオクシモール、つまり、「いて・いない。」いるといないは反対のこと、でも、二つは表裏一体で、しかも、いないと言う事実があって、いるという感覚がもっともっと強くなるのだ。
あなたはいない、けれど心の中にはいつもいるんだよ、そんな切ない気持ち。不在は強いほど存在も強くなる。

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いない。という絶望的な状況。同時に胸いっぱいに存在しているという満たされた気分が同居している。それは灰汁の中になつかしい面影を見たりするのと同じかもしれないし、切断された指の先が痒いのとも似ている。ないけどある気分。

それではすべてはナンセンスさ。と大笑いしている井上の態度はなんなのだろう。そこに日本人特有の、とかは絶対言いたくない。なぜなら特有の物などないし、人生の半分をフランスで暮らした私はいったい日本人特有の何があるのだろう、と言う質問になる。

しかし、井上のおチャラカしは彼独特のカッコ付けと言うかスタイルである。例えば「あめ玉」という作品をみてほしい。これはどう見ても化け物、恐怖の姿で、これにあめ玉、と言う題を付けて「なあーんだ、」と相手を油断させるのが彼の術と私は思っている。それに、江戸っ子である私にはわかるのだが、井上は怖い物を怖いと言ったり悲しい事を悲しい、と言うのが嫌いなのだ。悲しみは笑いで表すに限る。とか思っていたかもしれない。「泣くのはいやだーわらっちゃえー」ひょっこりひょうたん島のような人なのだ。

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手前が「あめ玉」、実はモンスター

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おかしくてやがてこわい井上の顔たち

不在を内包しつつ我々は生きている。不在を強く思えば思うほど存在は強まり、それが過去に我々を引っ張るのではなく目の前に進んで行く力になって行く。と言うのはアティアの解釈であり、井上もエルツェもそして私自身も痛感しつつある。

アティアのインタビュー(フラ語ですみません)
https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/c4r9A7e/rn9K4A

アティアの以前の作品でゴーストと言うタイトル。不在を強調する事で存在の力を表した、と彼は言う。
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潮田 バルー あつ子
アツコ・バルー
Atsuko Barouh

ラミュゼ主宰 / 通訳・翻訳家


ラミュゼ主宰。パリ第五大学人類学科卒業。フランスのインディレーベル『SARAVAH(サラヴァ)』の運営に1988年より関わる。2002年『L'amusée(ラミュゼ)』設立。滞在型イベントハウス『ラ・ケヤキ』(2003年)、ライブハウス『サラヴァ東京』(2011年)につづき、アートスペース『アツコバルー arts drinks talk』(2013年)をオープン。渋谷を拠点に文化の交流と発信に情熱を傾けています。

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