2016年3月30日 更新

そのポートレートは違う:自画像をめぐって


レオナルド・ダビンチの顔はなぜ賢そうなのか 

オープンカレッジに最近参加する機会があってナショナルギャラリーの学芸員レスリー・プリモ氏の講座で驚いた。今も世界中で使われているダビンチ老年の自画像デッサン、あれは実は彼が描いた物でも他人が彼を描いた物ではない。と言うことが科学的な分析でわかったそうだ。しかもわかったのはもう何年も前。でも未だにダビンチの自画像として使われている。

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このデッサン。伝ダビンチとは19世紀から言われて来た。本人がフランスで客死したのは77歳の時。あの老人の顔はよく見るとかなり老けている。ダビンチは肉体労働者でも貧困層でもない、しかも描いた時期は彼60歳の頃、と言われていた。いくら昔の人といっても60であれほど老けてはいなかったはずだ。論争の的であったが、ついに科学のメスがはいり、あのデッサンができたのは少なくともダビンチ死後100年は、と言う結果になった。
ではなぜ今だにダビンチ、というとあの顔が使われているのか。それが面白いところである。つまりダビンチ=賢者。と言う図式が出来上がっているからあの顔でなくてはいけないらしい。つまり彼の肖像と言うより彼のアイコンになってしまっている。あのデッサンの本当の作家が生きていたら何と言っていただろう。それにしても既に評価の決まった作家、(一般には死んでいる作家)を聖人のように扱いたがるのは困った物だと思う。生きて活動しているうちは無視しているくせに、死んでもう噛み付かないとわかってからあの人は凄かった。と言うことになると、その評価を継続させる為に演出をしたがる。テレビ番組でこれらの絵画を見せる時、流れる音楽は必ずクラシック音楽。ベートーベンンのシンフォニー的な音楽が流れ、「これ、偉い人」と言うレッテルがバッチリ貼られる。番組制作者の想像力の貧しさにがっかりする。

皆さんはどうでしょう、私はテレビのアート番組でクラシック音楽が流れると身構えてしまう。自分で判断する楽しみが奪われてしまうからである。

ところでダビンチは14歳でフィレンツのヴェロッキオ率いる工房にはいり頭角をあらわして行くが、工房の主、ヴェロッキオは徒弟達から男色で訴えられている。24歳の時のダビンチの(これは本物)自画像を見るとかなりの美形、師匠に迫られた事は想像に難くない。後にダビンチが独立して工房を構えると今度はダビンチも徒弟から男色で訴えられた、その訴追を逃れる為、彼は旅にでてしまう。後年美少年に入れあげてさんざ泣かされたり、道なき恋で苦労している。そしてミラノ大公に使ってもらえるように贈り物をしたり売り込み用に長い履歴書を送ったり、設計の方でもいかにたくさんの人が殺せるか、と殺人兵器の設計にいそしむ。まあ一言で言えば複雑な性格を持ち、自我と社会やお金の問題で悩んで来た、大変興味深い人間である。賢者のレッテルを貼ると面白さが半減する事は確かだ。

作家と見た目

作家のルックス、と言うのはすごく大事らしく現代アートの生みの親と言われ未だに名声のとどまる事をしらないマルセル・デュシャン。彼がもし、チビ。ハゲ。デブだったら絶対にこれほど有名になっていなかっただろう。と美術史のセマン教授が冗談でおっしゃったが的を得ていると思う。実際、写真に写っている彼は長身で痩せぎすのダンディーである。
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現代美術の産みの親にしてダンディ、絶対笑わない、長身、痩せぎす、かなり自意識過剰なマルセル・デュシャン

ルックスの重要性をいち早く気がついたのはイヴ・クライン、いつも白いタキシードで、パフォーマンスの時はシャペングラスを片手に持ったりしていた。アンディ・ウォーホルも自分の顔とあのヘヤーを看板にした。

日本の作家でも常々思うのだが、太宰治はだいぶあの写真で助かっている。反対に宮沢賢治は作品はファンタジーなのに彼の写真うつりはイマイチだから出版社はほとんど顔をださない。
ポール・オースターなども強いまなざしのポートレートでついつい買ってしまう作家である。(中身も面白いからだまされた気はしないが何も顔を強調しなくてもと思う。)

話がそれたのでまたダビンチに戻るが、彼のように写真のない時代、自分の看板=顔。を作る事は考えなかったのであろうか、それともかっこいい自画像は描いたけれど失われたのであろうか。

実はいたのである。それはダビンチの20歳年下のドイツ人、デューラー(1471-1528)である。デュシャンやイヴ・クラインの500年前、彼は多分西洋世界では初めての自分でルックスで売り込んだアーチストである。
これを見て欲しい、27歳の時の自画像だ、ドイツ人のハンサム青年ではあるが、少し横を向いてちょっと自信がない感じ、とってもファッショナブルで白黒のキャップやなんだかアシンメトリックな服は今でも原宿で見かけるしゃれお君。風景画もうまいんです、と言いたいのか後ろにしっかり描いている。
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そしてそれから2年後、全く何がおこったのでしょうか?すっかり自信をつけた彼の自画像。これはもう、ナルシズムの権化、と言うか「絵画の事なら私のおまかせを』と言う広告のポスターのようなものを描いた、しかも彼のブランドマーク、鳥居の中にイニシャルが入っているようなあのモノグラムを絵画の目立つところにでかでかと描いている。これが登録商標でなくて何であろう。

Albrecht_Dürer_-_Selbstbildnis_im_Pelzrock_-_Alte_Pinakothek.jpgのサムネイル画像

例のモノグラム。サイン、と言うかブランドのマーク
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これ正直、キモいでしょ。2年間に彼の頭の中で何が起こったのか。興味深いです。これほど自分大好き人間になってしまった、というか商売に自分のツラを使う決意をしたのです。ブランドマークなんか作って、芸術家として恥ずかしくないの?と言う非難は当時もたくさんあったでしょう。でもおかげで商売繁盛、今だに有名です、もし子孫が残っていたらさぞかしお金持ちでしょう。彼は確かにピュアーな芸術家ではなかったでしょう、しかし、注文が来なくては絵も描けません。絵の具高いので自分の為に描く、なんて考えはまだありませんでした。ひたすら注文を受け、お客様の気に入る絵で自分でも恥ずかしくないものを工夫して描いていたのです。当時、理想の芸術家の人生とはなんであったか知りたいところです。だいたい何がピュアーなのかも知りたいところです。

ルネッサンスの時代の絵画で現存しているのは10%と言われる。戦争や火事などで9割は失われたらしい。それにしても我が国よりはずっとましである。何しろダビンチの時代は日本で言えば応仁の乱の時代である。そのころに誰がどの絵をいくらで買った、とか男色の訴えの裁判記録だとか、イタリアでは実に様々な資料から当時を検証できるが、日本ではどうなのであろう。雪舟の30歳年下に生まれたダビンチだが我が国では彼の人間的な様子を忍ばせる資料は残っていいるのだろうか。
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ちなみにダビンチは1452年−1519年
雪舟は1420年−1506年 同時期に違う土地で活躍している。

 雪舟の自画像もダビンチに劣らず力がある、しかし日本にはルネサンスのように資料がないから彼がどんな暮らしをしたか詳しくはわからない。想像を巡らすとっかかりさえ与えてくれないのが寂しい。

自画像を巡るポートレートサーフィンは自我と社会、と言う面白いテーマを浮き彫りにしてくれる。

潮田 バルー あつ子
アツコ・バルー
Atsuko Barouh

ラミュゼ主宰 / 通訳・翻訳家


ラミュゼ主宰。パリ第五大学人類学科卒業。フランスのインディレーベル『SARAVAH(サラヴァ)』の運営に1988年より関わる。2002年『L'amusée(ラミュゼ)』設立。滞在型イベントハウス『ラ・ケヤキ』(2003年)、ライブハウス『サラヴァ東京』(2011年)につづき、アートスペース『アツコバルー arts drinks talk』(2013年)をオープン。渋谷を拠点に文化の交流と発信に情熱を傾けています。

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