2015年3月24日 更新

民謡を世界に

マイア・バルー渋谷WWWライブ 4月2日

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ブラジルの黒人奴隷の音楽がポルトガル人の音楽と融合してできた、ボサノヴァ。世界に出たのは50年代後半、著名なジャズプレーヤー、スタン・ゲッツが「イパネマの娘」を演奏したのがきっかけ、と言われている、そのころパリでは、バーデン・パウエルが初めてボサノバを演奏した。

ブルガリアの合唱がブレークしたのは、確か、80年代、それまでユニゾンだった歌をポリフォニーにしたから。と言われる。
アフリカ民謡は、フェラ・クティがポップに仕立てたから、そしてブラックパワーとともに世界の舞台に躍り出た。これも60年代。
ジプシー音楽は、80年代のジプシーキングが。などなど、ローカルで強い個性を持った音楽が,あるきっかけで世界に出て、多くの国の人に刺激を与えてきた。


日本は民謡の宝庫である。しかし、今まで多くのミュージシャンが取り上げて来たが、沖縄の民謡を除いて未だに海外で流行る、まではいかない。又,私たち日本人の意識のなかでも民謡はタブーと言うか、その土地に生まれ育った人でないと歌ってはいけないような気がしている、歌い方もしかり、まるで茶道や華道のように型を踏襲すべき。と言うような認識がある。しかし、黒人奴隷の歌であったブルースを世界中の人は歌うし、変化してこそ歌は生きているのに、これでは着物のように形骸化して行くばかりだ。

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2011年の津波と放射能事故の後、松田美緒など他の日本アーチストと同じくマイア・バルーは民謡に注目した。彼女は日本人の生命力と希望を民謡に込めて若者の世界言語であるエレクトロ・ロックに乗せて歌う。

今日本が日本が世界に発信することはとても重要なことである、忘れてはいけない。

彼女のプロデューサー、マルタン・メソニエによれば、彼はアフリカン,アラブなど多くのエスニック音楽を世界に送り出して来た人であるが、「本国で認められれば世界で認められる。」と言う。4月2日に渋谷WWWで行われる彼女のライブで日本人は彼女の歌を認めるか、どうか。勝負の時である。

https://www.youtube.com/watch?v=iEm8Pk2CgHs
http://www.coreport.jp/live/live_01.html

潮田 バルー あつ子
アツコ・バルー
Atsuko Barouh

ラミュゼ主宰 / 通訳・翻訳家


ラミュゼ主宰。パリ第五大学人類学科卒業。フランスのインディレーベル『SARAVAH(サラヴァ)』の運営に1988年より関わる。2002年『L'amusée(ラミュゼ)』設立。滞在型イベントハウス『ラ・ケヤキ』(2003年)、ライブハウス『サラヴァ東京』(2011年)につづき、アートスペース『アツコバルー arts drinks talk』(2013年)をオープン。渋谷を拠点に文化の交流と発信に情熱を傾けています。

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