2014年2月 3日 更新

「多様性」が合言葉、ヨーロッパが辛い歴史から学んだこと

運転手もつかない総理大臣。権力は住人に

週末にスキーに行ってきた。同じフランス語を話すといってもスイスはまったくの別世界である。失業率や暴動に悩む病気の大国フランス、こちらは小さいが経済も社会もうまくいっている人口800万人のスイス。
スイスの大統領は?と言われて、顔が浮かぶ人はいるだろうか? それはいないからだ。いや実はいるのだが権力がないのだ。権力があるのは村や自治体の住民たちである。色々な政党から7人の代表が選挙によって選ばれる、しかし選ばれた人は政党から脱会しないと7人の首脳グループには入れない。彼らはそこで政党のマニフェストを離れた個人として国の方向を選ぶ人間となる。7人のうち2人が代表として、1人が国際政治の舞台へもう1人が国内政治に専念する。しかしそれも持ち回りなので、いわゆる首相のように個人で何も決められない、あくまでも7人のうちの1人である。
彼らは無給で、皆ほかに仕事を持っている。運転手もつかないし、邸宅も与えられない、ごく普通のボランティアみたいな人々である、しかしだれでも、という訳ではなく、人望あつく、経験豊かな人が立候補する。道路の補修をするのも、学校やグランドを整備するのも住民の意見を聞いてやる、草の根の政治。だからすごく時間がかかる。けれどそれが大事なこと。都民に何の相談もなくバブリーな国立競技場を勝手に作るなんて、スイスではありえない。第一利権を得る政治家もいないから無駄な建設はしない。
税金は町民税が一番大きい割合で次が県税、最期の国税の割合。街は彼らの権限で税金の使い道を決めるので、中央に伺いをたてることもない。

橋げたにはダイナマイトが仕込んであるのさ

スイスは岩ばかりのやせた土地で長い冬の間にコツコツ作る時計と山間地の放牧で作るチーズがほぼ、唯一の産業だった。古くからハプスブルグ家の侵略を防ぐため言葉も習慣も違う地方が同盟を組んだのが国の始まり、生き残るために彼らはいろんなことを考えた。橋に仕込んだダイナマイトものそのひとつ。
スイスに入るには橋やトンネルを越えないと行けない、橋げたには必ずダイナマイトが仕込んであるという。敵が攻めてきたら爆破するためである。そして住民は山に逃げる。山の中には要塞があり武器や非常時のため食料やお金をためてある。核シェルターもあるという。
ヨーロッパの国々の銀行屋になってみんながお金を預けてあるから攻められない、永世中立。この立場を利用して紛争中の国たちを取り持つメディエーター役として侵略されることがなかった。その外交の知恵は今でも評価されて新しく国際社会に入ってくる新興国の外交アドバイザーとしても活躍している。

私たちの国はどういう位置づけでどう生き残りの戦略をたてているのであるのだろうか? 彼らのようにヨーロッパの国々はそれぞれの、歴史的の中で多大な犠牲を払いながら自国に合った戦略を磨いてきた。我々は長い間海に守られて実は独自の戦略はいらなかったのかもしれない。だから他の国の憲法や政治のシステムを輸入してしまった。他人のまねをしても自分は守れない。

70年前の火災保険がきいた!

1月に訪れた展覧会 ポーランドのユダヤ人画家、アウシュビッツの生き残り、マリヤンと同時代、やはりポーランドの美しい森林と草原地帯でおこったこと。1939年の9月、マリヤンは12歳で両親を殺されアウシュビッツに送られたが、私の友人の両親は土地を取られて追い出された。でもこちらはハッピーエンドのお話。
古い友人で今はパリでギャラリーを開いている女性の話である。先日「聞いてよ、思いがけなく両親の遺産をもらったのよ」という。彼女の両親は戦前、ポーランドの東に広い牧場を持っていたという、しかし1939年にドイツ軍が侵攻、祖国は数週間で制圧されてしまった。両親はほんの数時間で荷物をまとめほとんどスーツケース1つで追い出された、という。その後ワルシャワで戦争を体験、戦後彼女が生まれた、冷戦下、美術大学の学生だった彼女は必死につてを頼り、片道切符でパリに亡命したが両親は残り、ベルリンの壁が落ちるまで家族とも会えなかった。という。さて、今や自由に行き来ができるようになったが彼女の両親は老齢で亡くなり、彼女の弟がワルシャワで形見の整理をしてると、例の牧場にかけた火災保険の証書が出てきた。今から70年前ものである。保険会社は何と幸運なことに今でもロンドンにあるロイド社で古い保険書を保管してあった。調べてもらうと土地の権利書はないものの、彼ら家族の持ち物であった事が証明できた。今やその土地はリトアニア内。ユーロ圏に入りたての近代化、西欧化を進めている国である。ロシアだったら多分だめだったであろうが彼らは土地を返還してくれることになった。しかしそこはヨーロッパ最古の原生林が残っている地方で今や国立公園に含まれている。返してもらっても何にも利用できない。そこで国に買い上げてもらった。というのだ。そのお金が遺産である。それで彼女はギリシャに別荘を買ったという。歴史は巡り奪われたものはいつか持ち主のもとに返される。でもこれはとても幸せなエンディング。ロイド社、お見事。会社たるもの長くやっていてこそ価値があるというものです。そういうような国境をめぐる紛争や和解を長い時間軸でもみあって今のようなヨーロッパが営まれている。しかし第二次大戦のユダヤ人に対する傷跡は最も深く、そう簡単には解決できない。

決して戻らない母親も癒えない傷もある

私の連れ合い、ピエールの両親はドイツの協力者となったフランス警察に捕まらずになんとか生き延びたが親戚は多くのものが収容所で亡くなった。彼の両親の親戚だった当時27歳の女性は赤ちゃんを残して収容所に送られた。赤ちゃんだった女の子はバルー家の養女になってピエール達と育てられ、2人の男の子の母親になって今も健在でいる。パリ市が警察の没収されたユダヤ人の持ち物を返還する。というニュースを聞いて彼女はパリ市に赴いた。27歳だった母親に別に金目のものがあったはずはない、ただ母親の形見が何かひとつでも残っていたら、と思ってのことである。感じの悪い担当官につっけんどんに断られ、「ユダヤ人は欲が張っているから困る。」というような言葉を投げつけられ、立ち直れないくらい傷ついた、という話を聞くにつけ、この国の差別の深さに暗然とする。

そう、私が言いたかったのは日本も深いけれどヨーロッパは深く、多様性に満ちたままそれを変えない努力をしているのが素晴らしい。ということだ。70年前の証書をとっておく会社、人口が800万人で資源がなくても豊かな国。ひどい理不尽があってもタフに生きる人たちがいる。


私、エレクトロに夢中

話題は激しく変わるが、今回フランスでの大発見はDJのFlako。イギリスに住んでいるチリ人でDJという言葉が当てはまるのかよくわからない作曲家である。彼の音楽の音選びのセンスが素晴らしい。なぜ日本にまだ呼ばれていないのか謎である。日本人が好きな繊細かつ妖艶な音楽なのにね。

フランス進出

もう一つの話題は TAGAMI の絵が初めてフランスで展示されたこと。パリの会員制画廊(こういうのがあるなんて!)で6枚が出展された。ここはセット・サンクのクラブという名前でお金持ちの大邸宅である。家の主が長年画廊を経営して今は会員のみが見に来られるシステムにしている。オープンは月に一度、カクテルパーティーを開き会員が集まる。今回3枚の絵に予約は入ったものの、実現まではいかなかった。次回に賭けよう。

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しかしながらうれしいことに時代は変わった。10年前、彼の絵をフランスの画廊で紹介した時は誰一人として興味を示してくれなかった。去年のベネチアビエンナーレがセルフトート(独学)のアート中心だったり、アールブリュットに関心が高まり、TAGAMIのようにメインストリームにはいないがパワーのある絵画に目を向けだしたのだと思う。今年もTAGAMIをはじめ日本の面白いアートを世界に紹介したいと張り切っているところである。
今回のパリ滞在で、アツコバルーのパリ拠点を確保できた。北駅の向いにある芸術家のアトリエに縁があって入ることができた。今年から日本のアーチストの作品をここで見せることができる。


ZENG FANZHI (曽梵志 / ゾン・ファンジー)展

パリ市近代ミュージアムではいつも同時開催で面白い展覧会を開いている。今回は、中国人の現代作家 ZENG FANZHI、ロシア近代のポリアコフ、布による表現を集めた展示、そしてファッションデザイナー、アライヤの4つである。
ZENG FANZHI の本物を見るのは初めてだった。私たち日本人って中国に対していつも劣等感持ったり優越感持ったり面倒くさいのですが、この作家、実に本当にうまいです。うまいって言い方もひがみっぽいですね。いや素晴らしいです。全部が好きではないにしても、スタイルをガンガン変えていきながら常に探している現在進行形なのが好感持てます。絵のサイズだってすごい、でかい。その上高い!、「最後の晩餐」、という作品が22億円ですって。まあ値段は関係ないにしても、絵は高くなるほど大きく描いてまたもっと高く売る、みたいな不思議なやり方があるみたい。この方1964年生まれ。まだまだもっとうまくなって、もっとすごくなるか、スポイルされるか。スリルあります。しかしスポイルされても鯛でしょうね。実力ありますから。
世間話になってしまいました。絵画の説明は苦手なのでいくつかの写真をご覧になってください。

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布のアート

同時開催のデコリウム、という展覧会はかなり斬新なセノグラフィーで家具などの小道具を飾ってみたり作品の存在を勝手に色をつけたりしているのが面白かった、かといって作品の邪魔をしているわけではなく、キューレーターのユーモアのセンスがうかがえる。「こんなことしていいんだ」という展示が勉強になる。巨大な機織り機で古着でも何でも裂き機織りにしてしまうのは1974年生まれのDIYの作家 Michael Beutler。ベルリンでネオ―クラフトと称して一般の人にも参加を募り巨大な布を織る。横幅にして6メートルくらいでろうか。ぐねぐねした布が生み出されていく様子が生き物のようで面白い。

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日本人作家で Kay Sekimachi のデリケートな「のぼり」。この方アメリカで活動なさっている美しい作品を作る方です。
Caroline Achaintre のナマハゲのような民族的な作品は、怖くて面白い。

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最後にMichel Aubryは実際にアフガン戦争中に使われていたお祈り用のじゅうたんでインスタレーションをした。モチーフがその時のネタで、これでイスラムのお祈りをしたのかどうかわからないけれど、複雑な気持ちにさせられる。

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☆ web Dacapo のコラム〈Shibuya Tourbillon 14〉に、
今回のパリ滞在でお会いした、
ホドロフスキーとアントワン・ダガタのことを書きました。


潮田 バルー あつ子
アツコ・バルー
Atsuko Barouh

ラミュゼ主宰 / 通訳・翻訳家


ラミュゼ主宰。パリ第五大学人類学科卒業。フランスのインディレーベル『SARAVAH(サラヴァ)』の運営に1988年より関わる。2002年『L'amusée(ラミュゼ)』設立。滞在型イベントハウス『ラ・ケヤキ』(2003年)、ライブハウス『サラヴァ東京』(2011年)につづき、アートスペース『アツコバルー arts drinks talk』(2013年)をオープン。渋谷を拠点に文化の交流と発信に情熱を傾けています。

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