2012年6月20日 更新

出前サラヴァ、三陸 続編

リアたちの手作り小屋、カフェアペは破壊の風景の中で生命のしるしのように輝いていた。

吉里吉里町の北の端、山田町に行く手前の国道沿い,海を見下ろす高台に「民宿さとう」がある、海の真向かいに建っていて眺めは抜群だ。翌朝抜けるような晴天に海はただ青く美しく白い波のボーダーレースに飾られて踊っていた。「きれいな海ですね」と信太美奈が思わず言った言葉に「津波さえなければね」と言うご主人。民宿の食堂の隣の和室には大きな仏壇。31歳の息子さんは消防団で最後まで人命を救おうとして亡くなった。近い年齢の子供を持つ親として、心底同情する。民宿さとうもかなり海抜の高い所にあるが一階は水没した。「ほらあそこの高い所に横に線が見えるでしょ、あれは鉄道のレールだった。あそこに乗って海を見ていた人たちは皆死んだよ。」と佐藤さんが続ける。海から20メートルはある。そこまで来たのか。われわれの想像力をはるかに超えた大惨事だった。と実感する。テレビでは分からない感覚だ。その場にいると五感で感じる。

28日土曜日、10時に吉里吉里町に点在する仮設住宅群のうちのひとつ、「わのっ子ハウス」でイベントを始める。海岸から車で15分ほど山の方に上った美しい小川のほとり、遠足に来たらさぞかし気分が良いだろうと思われる立地。里山の畑を提供してもらったのであろう、靴箱のようなプレハブ住宅がお行儀よく並んでいる。ここには300人くらい住んでおられるらしい。コミュニティスぺースのある建物では小さな子供が保護者と遊べる施設と育児相談、老人のデイケアーが一緒になっている。お年を召した方々と中年の女性たちが30人ほどそして小さなな子供たちとお母さんが集まってきた。

コーディネーター役を引き受けてくれたリアに司会のボボが小声で聞く
「おはようございます。くたばれババアー と言ったら笑いをとれるかな?」
リア「危ない賭けだね」
じゃあ「こんにちはクソババー!」は?
「君はボーダーを行きたいわけね」とリア

ああ。どこに行ってもサラヴァの名物店長はお客様に対するリスペクトを忘れない。フランスの国民的コメデイアン。コルーシュが毎回、ショーを始める時に「やあ、ろくでなしども、元気かい」と言っていたのを思い出した。彼に「ろくでなし」と言われると嬉しくなって皆の顔がほころびるのである。自虐は笑いのツボである。それが吉里吉里のわのっ子ハウスのお年寄りに通じるか?ボボは切り込みしていくや否や。笑いながらも緊張する。舞台は毎回真剣勝負だ。

掲示板に我々の出前サラヴァの手作りポスターが貼ってあったが、多くの人が来てくれるかその場にならないとわからないそうである。いすを出し、サウンドチェックの後に、大きな声で(メガホンがなかったので)リアは「10時からわのっ子ハウスで歌が聴けますよ~!シャンソンやダンスもありますよ~。いらしてください」と叫びながら回った。広い敷地内は砂利が敷いてあり歩きにくい、小さな食品店がプレハブの中にあるが、そこまで買い物に行くのもお年寄りには一苦労であろう、冬の間はさぞかし...などと思いを巡らす。仮設の庭先には小さい手作りのお地蔵様が赤いニットの帽子をかぶっておられる。三陸ではお地蔵様に良く出会う。道の途中でこれから行きますよ。とすれ違いざまに声をかけてくれる2-3人連れに何組か出会った。一回りして戻ってくると椅子はほとんどいっぱいになっていて安心する。

さて、10時になり、舞台も照明もないセンターで、あっというまにボボは突進していった。
「本日はお若い方もそうでない方も、おきれいな方もそうでない方も、ようこそいらっしゃいました。」おお、ソフト路線で行ったな。と少し安心。
キョトンとするお年寄りもいれば笑顔のヘルパーさんや中年の女性もあり。
「皆様、日本の東京と言う町をご存知ですか、我々はそこから10時間かけて車でやってきました...。」と口上の後、トップバッターはダンサー高木真由さんの太極拳。
「皆さんは、太極拳って、やったことありますか?」誰もいなかった、しかしみんな興味を持ってくれて、早速椅子から立って、呼吸を整えたり、腕を伸ばしたり、
「虎のポーズを取って、『が~お』と言う感じで指を広げましょう。」と真由さんが言うと全員が「ガ~オ」と大合唱。あのう、声を出さなくてもいいのですが。と笑う真由さん。でもやっぱり我々もみんなも「ガ~オ」と叫んで笑いました。おかしかったです。一気に体も気持もほぐれたところで。次はソワレのシャンソン。

「皆さん日本のシャンソン歌手と言えば誰でしょう?」
「え?、越路吹雪さん。そうです。では越路さんの歌で3曲僕が言いますが、最初に歌ってほしい歌はどれですか、拍手の大きさで決めましょう」
「先ず、『愛の賛歌』」パチパチ。
「次は『ラストダンスは私に』」パチパチ。
「あら、あなた、なんですか両方に拍手してるでしょ、だめよ」と女性群を巧みに巻き込み笑わせて、おなじみの歌を歌い客席を回りながら手拍子をもらう。ピアニストのまさる君は若干24歳だが、柔軟に空気を読んで演奏をあわせる。
時の河を渡る船にオールはない

続くは信太美奈。彼女の選曲は女路線で、
「越路さんがミュージカルで歌った。『女って何』と言う曲です。皆さま、女ってなんでしょうねえ。」と女性の関心を引きながらバラードを歌う。「女って一人がさびしいの」、確かに。美女の美奈が心をこめて歌うと孤独だって甘く聞こえる。甘く感じられればさびしさだっておいしい。
続く曲はますます女の歌、WOMANと言う、薬師丸ひろこさんが歌ったメロドラマチックな恋歌、当時の薬師丸さんのような可憐な人にこんな歌を歌われたら世の中のすべての男性は追い払うまでずっとそばにいてくれるだろう。この歌を歌うには彼女は若すぎた。中年以上の女性じゃないとこの歌の悲しみが真実味を持たない。甘ったるいなあ。と思いながらも美奈の歌にしんみり聞いてしまう。去っていく恋人への歌だが、考えると親しい人との別離の歌である。ここに掲載させてもらいます。

Woman    作詞:松本隆
もう行かないで そばにいて
窓のそばで腕を組んで
雪のような星が降るわ
素敵ね

もう愛せないと言うのなら
友だちでもかまわないわ
強がってもふるえるのよ
声が......
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に
降りつもるわ星の破片
(2番は省略)

このBメロの「ああ時の河を渡る船にオールはない 流されてく」それが言いたいためにその前の部分がある。時の流れに浮かぶボートには櫂がない。だから、悲しいし、だから救われる。被災者にこんな濃厚な愛の歌を?でも、みなさん、聞き入ってくれた。

その晩はカフェAPEに「わのっ子ハウス」にはあまりおられなかった世代の人たちが集まった。つまり30代40代の方々。APEの客席には壁がないので透明なビニールシートで覆ってあるが、今夜はシートを外し野外が舞台だ。天気が良い4月の終わりと言っても岩手の夜は冷える、薪ストーブ2台が赤く燃えている。ダンサーの真由さんは真っ赤なバラに黒いラメのドレス、太極拳ではない方の出し物をしてくれた。お客さんのテーブルをラメドレスをくねらせながら回り乾杯してお話、ダンスは彼女の創作ダンス、ユーモアとコンテンポラリーの合体した舞台にお客は大喜びで盛り上がった。もちろん全員参加のディスコダンスもやった。司会のボボも、伸び伸びと本領を発揮、下ネタで健康な笑いを引き出していた。隣の山田町から来た牡蠣養殖業の若いカップルは新婚だった。牡蠣の養殖は夏がヒマなので毎年北海道のトウモロコシの缶詰工場で出稼ぎをする。そこで知り合った北海道の娘さんに一目ぼれして、結婚を申し込んだ、という。わかる気がする。性格が素直で、なにしろ陽気な女性だった、特に笑いがよい。渋谷からわざわざやって来てこのレベル?と赤面させる下品なジョークや替え歌に天井のないカフェアペの夜空も明るくするような大きな声でアハハハハと笑い転げていた、見渡す限り建造物がなくなった砂漠の街で、近隣に遠慮することもない。どんなに笑っても騒いでも足りないくらいだ、ここにいるよ!生きてるよ!とみんなが叫んでいるかのようだった。来たかいがあった。と実感した。与えたものよりもいただいた力のほうがずっと多かった。

消防団の団長さんや、冬まで「命の薪」運動をやっていたNPO吉里吉里国の方々、釜石のホテルの方はお客様を連れてやってきてくれた、民宿さとうで一緒になった青森から来た家族も。

翌日は、やはり吉里吉里のもう一つの仮説住宅街で「ぬくっ子ハウス」を朝10時から訪ねる。ここは一人では暮らせない90歳以上の方々が暮らすホーム、通ってきているお年寄りも集まってきた。ここでも真由さんは太極拳をやった。90のお年寄りが座ったままで虎の構えを真似て「ガーオ」と。ヘルパーさんも後で「びっくりしました、こんない動いてくれると思いませんでした。」と言っておられた。
司会のボボは「女はあがってからが勝負と申しますが、本日はあがった方もそうでいない方も、立てる人も立てない人もよいこそ...」と相変わらずボーダーを行く。信太美奈さんも今朝は突然曲目を変えて、皆さんに指遊びをしてもらいながらヒヨコがぴょん、ぴょんぴょん。とお遊戯をして楽しんでもらった。ソワレのシャンソンを聞いて最後はまた真由さん、前代未聞の太極拳をディスコミュージックで、ディスコの振り付けで90歳の方々も全員腰を振って踊ってもらった。今晩熱を出さなければよいが...


復興?

28日の午後、車で津波の爪痕を見学に行った。大槌町は約10人に一人と言う人口比にすると今回の津波で一番高い犠牲者率を出してしまった。町を望む高台の公園から眺めるとその被害の大きさを一望できて言葉を失う。町役場は海の堤防のすぐ前にあり、災害対策本部は町役場の中にあった。地震の後、役場の人たちが集まってきて、相談しているとことを波に直撃され、町長以下死者30名を出してしまった。見る影もなくなった役場の前には祭壇がありいつも花やジュースが供えられている。何とも痛ましいたたずまいであるが、後世への教訓にこのまま残していくのも意味あることかと思った。

もちろん、我々よそ者から見て、なぜ、海沿いに町の中枢である役場を?と言う疑問が真っ先に湧き上がるが、今となってはすべて遅し。いつだれがそこ役場を建てようと決めたのか知らないが、大きな堤防があれば大丈夫とふんだのであろう。何しろ港は街の心臓であることは間違いないのだから。恐ろしい海の真ん前だとしても。

復興?今後町はどうなるの ?と言う疑問が、繰り返し頭に中に響く。釜石でも、大船渡でも、「ことばのポトラック」を届けに行った陸前高田でも、みな同じ質問が空気中に漂っていた。どうするの? どうなるの?

国の方針がまだよくわかっていない。海岸近くの土地に6mの厚さの土を盛り上げて、それから家を建てられる。(今は家を建ててはいけない。建築許可が下りないのだ)でも仮設は3年間しか住めないという政府の達しが出ている。盛り土はいつになるか? 5年先らしい、では5-3=2。2年間どこに住むのか?まだ計画が示されていない。

20mの高さの堤防を築くらしい。では河口は?堤防は河岸を何キロも上っていくのだろうか?港に出入りする人や車、荷物は20mの堤防を乗り越えていくのだろうか? 釜石市の堤防は台の部分が三陸で一番大きくてしっかりしているらしい、それでもメタメタに動かされ壊れていた。いくら高さがあっても、いくら根本がしっかりしていてもそれは破壊された。ではなぜまた、ダメとわかっていて作ろうとするのか? また土木か、政府お得意の公共事業の名目を見つけただけ、ではないのかと邪推してしまう。

日本の150年っていつも、2つの価値観の戦いだ。仏教的、神道的な考え、自然を恐れ敬い、なすがままに、日照りの夏にはおろおろ歩き、と言う叙情的でサトリ、みたいな価値観と一方、科学やテクノロジーを駆使して自然の脅威に立ち向かう、と言う西洋的志向。それがメタボリック建築や、大都市集中で地方は都会のために働き、都会が生んだ富をわけてもらう、発電所を地方に置くという発想がそうだった。より高い堤防を作る、と言うのもその発想だ。

もう海のそばには住みたくないという人、いや、元の街に住みたいという人それだけでも解決が難しい。堤防を、盛り土をという復興計画、高すぎる堤防は無駄という現地の人々。この機会だから合理的な都市計画をゼロから立ち上げよう、という考えもわかるが、一番早い復興は焼け跡の東京みたいにそれぞれ個人が勝手に作り出す状態ではないか、一見アナーキーだが、ある種のロジックがある。魅力的、ということでは、一番であろう。新宿のゴールデン街や神田のガード下のバラックに魅力を感じてしまうのは私の懐古趣味であろうか?

あまりにも多くのことが不条理でわけがわからない。海岸のごみを掃除するボランティアやNPOたちの働きはいたるところで見られて勇気付けられる一方、政治の世界では三陸の町を食い物にしているのではないか。という疑いを持たずにはいられない。その中で、町の中心部である海の近くはノーマンズランドで、プレハブのコンビニや復興食堂以外、立っているのはリアたちのカフェアペだけだった。さっきも言ったように建築許可がありないからプレハブしか建てられない。プレハブだって高いから個人は建てられない。三陸に住んでふるさとを再興したいという人たちはずーっと不安なままでいる。不安が彼らの心をむしばんで行かないうちに何とかしないといけないのに。と思った。


教訓をいかす?

北ヨーロッパのように自然が比較的優しくて、台風も、地震もない国では自然に立ち向かおう、なんていう飛んでもない考えが生まれて、ある程度成功する。でも我らが祖国では立ち向かうことが不可能なくらい凶暴な自然がそこにあるのである。我々はそのことを忘れていた。そして政府は、もう忘れた。

このブログを書いている6月18日の2日前に野田総理は「私が全責任を負います、」と不可能なことを平気で言ってのけて大飯原発を再稼働してしまった。津波の一番の被害を出した福島原発からいまだに汚染水が流れ続け、建屋の屋根は吹っ飛んだままで放置せざるを得ない状態なのにである。過去の責任が取れない政府がどうやって未来の責任を取るのか。

やっと動き出した市民運動はことごとく巨大メディアから無視されているが、それも長続きはしないだろう、首相官邸に集まった1万人が5万になり10万になったとき彼らは無視できるか?健康と安全を願う、これほど基本的人権に沿った願いを無視し続けるとしたらこの国は民主主義という看板を下ろしたほうがよい。

私たちと三陸の彼ら

大槌町の人たちが早く自分の家で暮らせますように、雇用があるように、心から祈ります。私たちの生活と彼らの生活は密接につながっているのがわかりました。同じ日本列島で暮らす私たちは同じお船で時の川を下って行ってます、女子供のいうような甘いセリフですが、彼らが生活を取り戻すまで私たちは心の片隅でずっと気にしていないといけないのだと、はっきりわかりました。

また寄らせてもらいます、大槌町、吉里吉里のみなさん。よい夏を。

追記:6月の9-10日に行った初夏の文化祭で84000円の寄付が集まった。次回の出前サラヴァのためにこれを使いたいと思います。

出前サラヴァ、三陸編、vol.1 2012年4月25~29日

4月25日釜石 青葉ビルにて、国境なき子供たち主催のオープニングミニライブ。ピエールバルー。

午後大船渡で屋台食事 釜石泊まり

26日 陸前高田 昼食、そばや 一関ベイシー 一関泊まり
27日 一関から 萬鉄五郎記念館 土澤 商店街 一日シェフ 大槌町吉里吉里
アペでジョイント 民宿佐藤 夜にお迎え
28日朝、仮設でイベント、 屋台村 夜、アペでイベント 民宿佐藤
19日朝仮設でイベント 解散

潮田 バルー あつ子
アツコ・バルー
Atsuko Barouh

ラミュゼ主宰 / 通訳・翻訳家


ラミュゼ主宰。パリ第五大学人類学科卒業。フランスのインディレーベル『SARAVAH(サラヴァ)』の運営に1988年より関わる。2002年『L'amusée(ラミュゼ)』設立。滞在型イベントハウス『ラ・ケヤキ』(2003年)、ライブハウス『サラヴァ東京』(2011年)につづき、アートスペース『アツコバルー arts drinks talk』(2013年)をオープン。渋谷を拠点に文化の交流と発信に情熱を傾けています。

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