2012年3月12日 更新

No Nuclear と言ってはみたものの・・・

3月11日に日比谷公園で開催されたPeace on earth の集会とそのあと、国会議事堂を取り巻くヒューマンチェーンに参加した。

青空の下5万人くらいが日比谷公園に集まっていました、出演者や主催者、皆、あえて反原発と言わないところで、政治色のない、地球に平和を...という当たり障りのないテーマで多くに人が集まれるように苦労した跡が見えます。

でも、それは言葉に出さなくとも暗黙の了解でわかっていて、黙とうの直前にスピーチしたニコルさんなど、「自然に挑むのではなくて、自然と共存できる社会を。」などど言ってました。自然に挑んでいたのは三陸海岸ではなくてもう一つの人災のほうですよね。
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16日ころから大きなデモになって日比谷公園から国会議事堂に向かいました、その列の長かったこと。30分にもわたって行列が途切れることなくつながっていました。こんな長いデモは、初めてみました。私は子供だった時の学生運動や、安保反対の時はあったかも知れませんが、たぶんその時以来でしょう。イラク戦争反対の時もこれほどは(残念ですが)長くなかったです。面白いのは参加者のメンツです。

ファッションに気を使った若者や小さな子供を連れた家族、きれいなお着物でおしゃれした色っぽい女性。知的職業に就いていそうな壮年男性、主婦、シャネルのバッグを持った奥様達、お爺さん おばあさん、そしてアーチスト、ヨーロッパの言語を話している外国人たち。普通私たちが目にしていたメーデーやらのデモの人たちは労組っぽいファッションで、なんかくすんだ感じ(失礼!)しかし、大きな災害の後に市民運動が盛んになって、それまで道に出て主張などしなかった普通の市民、いわゆる反体制のマイノリティーではない都会のマジョリティーの人たちが出てきたのです。これはすごく画期的なことじゃないかと思います。

P1010138.JPG(経産省前で)

こういう(私も含めて)おとなしい人たちを街に駆り出してしまった、と言うのが今回の本当の政府の失敗だった。駆り出させた動機は健康への心配、環境、でしょう。とにかく普通の人たちは街に出た。主張を始めた。これは本当の民主主義の第一歩ですかね。

この国の民主主義は絵に描いた美しい花、アメリカにプレゼントされたピカピカの機械でした。でも誰も取扱説明書を渡してくれなかった。立派な機械があるんだ。ということだけで私たちは安心していたのですね。

フランスで子育てをしましたが小学校1年生の初めての授業"Education Civic"(市民教育)と言うのが社会科にあたるのですが、そのはじめての授業が「投票箱ってなあに?」というものでした。子供のノートの箱が絵が描かれてありました。これが投票箱です。って。私はショックを受けました。日本で投票のとこを習うのは何歳でしょうか?流石ヴォルテールの国。それから中学校の3年までの間9年かけて選挙の仕方、立候補の仕方、市民運動の仕方、年金とは、健康保険とは、労働裁判、労働災害、etc...日本の学校で教えてくれない事をみっちりたたきこまれるのです。


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(シャネルのバッグもデモに参加)

これが美しい機械の取扱説明書です。ですから教育改革や老人年金の法案が出されるたびに中学生もデモをする。僕たちの未来を勝手に決めるな、って。フランスでは民主主義は美しい機械ではなくて蹴飛ばしたり、どついたりしながら何とか動かす古くてあまり機能しないマシン。でもこれしかないんだよ。と言うのがかれらの政治参加の認識です。

市民運動は小さい時から彼らの生活の一部。大人になってもデモの参加で会社を休んでも欠勤にはならない。ストライキしてもこれは労働者の権利ですから給料はもらえる。そこまで進んでいます。うらやましい。

そういう教育をしてくれない日本の文科省は市民運動をなるべくしないでね。と言っているのにも等しいです。それでも自発的に出てきた今回のエネルギーシフト運動は大変評価すべきです。もう一言言えばフランスには広告収入に頼らないオピニオン誌が立派に存在してます。代表格のルモンド ディプロマチックは18万部売ってます。これも彼らの誇り、悔しいけど完全独立のメディアは苦戦してます、日本では。


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(手前の若い母親はバギーで赤ちゃんと参加)

では民主主義にやっと目覚めた(と言うか目覚めさせられた)私たちですが、この原発の問題をどう扱ったらよいのでしょうか?たとえば気になっているのが瓦礫受け入れの問題です。

福島の原発は東京の電気を作ってきたのです。福島ではもう瓦礫が処分できないなら電気を使ってきた人たちの住むところで引き取って欲しい、と思うのではありませんか、それって理にかなっている気がしませんか?でも東京人に言わせれば高い電気料を払ってきたし、放射能付きの瓦礫を押し付けられるとわかっていたら薄暗い照明で我慢していた。私だって引き取りたくないです。双葉町の人はたっぷり原発マネーをもらっていた。ということはこういうまずい事件が起こっても仕方ないと何となくわかっていたのでは?だったら今までお金もらっていたのだから何とか瓦礫もそこに置いておいてよ。というのもわかります。これは、福島に同情すると言っている我々の矛盾。


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(まあたくさんのお巡りさんが過剰に交通整理をしてくれます)

そこで問題、誰が引き取るか?原発を国民の責任とするか?東電と政府の責任とするか?でも政府を選んだのは誰?戦争のときはどうしましたっけ?軍部の責任?それとも軍部を暴走させた国民?民主主義って市民が国を動かすという事と、責任を取る、ってこととセットになっているのがミソ。だったら瓦礫引き取るのが我らの責任でしょうか?

非核3原則が議会で通った同じ年(1955年)に原子力委員会を設立して原発建設への準備が始まった。左手でダメと言って右手でいらっしゃい。というわけ。原爆と原子力発電とは違うよ、こっちはかわいいウランちゃんと、りりしいアトム君だもの。という子供だましにだまされたままいつの間にか54基も作られてしまった。

絶対安全だから。といいながら都市には作らず、送電で40%も電気が失われるのに200kmも離れた福島に作った。つまり安全じゃないのはわかっていた。でもOKしてしまったのね。それが欺瞞の始まり。当時の大人たちを非難するのは簡単ですが、あのころ東京オリンピックがあって、日本は戦争から復興した、ってことを世界に見せたかったのです。復興のためにあれほど憎んだ放射能をもちこんだ。という皮肉。皮肉と言えば3.11は 東京大空襲の日なのです。アメリカのB29が市民の住む町、東京を焼きつくし、その66年後に今度は日本人自身が放射能で汚染した。

ああ。そう思うとなんか、3.11ってトラウマ。

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(できたよ、ちゃんと一回り、人の輪で大切な国会議事堂を取り囲むことができました。ここが私たちの国の心臓部。大事にしようね)

しかしエネルギーのない日本で原子力なしで本当に大丈夫でしょうか?風や地熱、風力、波で本当に賄える?石油はあてにしない方が。

心情的には世界から原子力はなくなって欲しいです。でも実際、日本でなくしても隣の国にはあります、風はどんどん吹いてくるし、電力が足りなくなったら隣の国の原発から電気を買うのでしょう?それでよいのでしょうか?

疑問はいろいろあります。だからちゃんと話し合いたいです。でもマスコミは我々が国会を取り囲んだことを報道してくれないし、政府は忘れっぽい国民が忘れるのを静かに待っている気がします。

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(国会正面でアーチストがデモンストレーション。ファッキューの形のろうそくでした、私はそれは違うと思うよ。私たちが市民の責任を果たさなかったことに非難されるべきです。ろうそくはきれいでしたが)

潮田 バルー あつ子
アツコ・バルー
Atsuko Barouh

ラミュゼ主宰 / 通訳・翻訳家


ラミュゼ主宰。パリ第五大学人類学科卒業。フランスのインディレーベル『SARAVAH(サラヴァ)』の運営に1988年より関わる。2002年『L'amusée(ラミュゼ)』設立。滞在型イベントハウス『ラ・ケヤキ』(2003年)、ライブハウス『サラヴァ東京』(2011年)につづき、アートスペース『アツコバルー arts drinks talk』(2013年)をオープン。渋谷を拠点に文化の交流と発信に情熱を傾けています。

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